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説教 2013年8月

8月18日『愛が芽生えた所には実りがある』

8月18日(天一国元年 天暦7月12日) 礼拝内容 垣内勝男教会長
今日はお盆が明けた最初の礼拝です。
お盆は、霊人(先祖)が降りてきて、わたしたち後孫を訪ねて来る時です。
見えない(無形)ですが、実体としておられますから、
一緒に、食事(寝、敬拝)をしましょう、とたくさんのことを
先祖(霊人)に語りかけながら共に成し、命日にはお祝いをしましょう。
さらにお誕生日を祝ってもよいし、手紙や日記をつけても良いでしょう。

先祖(霊人)は、地上のわたしたちを通して、共に愛を完成(成長)します。
私の体を通じて初めて愛の完成ができるのです。
ですから、わたしたちは愛の完成をめざして、愛の実践をしていきましょう。
愛を育み、愛を完成させていきたい、として成していき、課題を克服していくのです。

目の前の人を愛する実践をしていき、愛ある家庭、個人になっていきましょう。
目の前の人を愛せないから、もつれてしまって来たのがこの世界です。
変な方向に情が行ってしまうのです。
愛すべき人を愛しましょう、目の前の人を愛しましょう。
そうすれば安定していくし、安心感がうまれるのです。

わたしたちが霊界に行くとき、唯一持っていけるものが愛です。
成した分、自分に返ってきます。
不平、不満ではなく、感謝しましょう。相手を気遣って接しましょう。
愛(み言を信じ実践)することは、全て、私の中に実っていきます。
ある程度、継続が必要です。
一つの条件がたったとき(満ちたとき)愛が芽生えます。

心情や環境が大変な時には、(血気怒気などを誘発している霊人に)このように語りかけます。
「私も感謝するのが難しいですが、清平(霊界を整理してくださる聖地)に連結していきますから、
おとなしくして下さい」と伝えます。
より具体的にしていきましょう。
また、わたしたちは目の前の人を人間的に見て、どうこう言ってはいけません。
あきらめずコツコツ感謝して取り組みましょう。
恩讐をも愛されたお父様(文鮮明先生)のように愛していくと実りがあります。喜び、幸せがあるのです。


お父様(文鮮明先生)が聖和されて(亡くなって)もうすぐ1年が経ちます。
お父様が霊界に行かれた今、今まで以上に私たちの近くに居らっしゃいます。
時空を超越して、どこへでも(生前来ることが出来なかった日本にも)来ることができるお父様です。
呼べばすぐ来てくださいます。だから、さみしいと思ってはいけない、と、祈る中で
転換されたことがありました。

霊界に行かれても、無形なだけで実体はいらっしゃるので、
一時もわたしたちのそばを離れることはないお父様なのです。
そして、お母様(文鮮明先生の奥様)はお父様と一体となっておられます。
地上におられた時以上に一体となっておられ、
お母様が語られるお姿(内容)は、お父様「そのものだ」と感じます。

わたしたちは何かあれば「お父様」を呼びましょう。
「天の父母様」と呼びましょう。
祈りの中、生活の中で何度も呼びましょう。
お母様もたくさん呼んでほしい、とおっしゃいました。

今は、神様のことを「天のお父様」ではなく、「天の父母様」と呼びます。
男性格、女性格が神様の中では一つとなっておられるからです。
夫婦が一つになれば、人は完成することができるのです。
それで、夫婦が一つになれば、そこに神様が共に住むことができます。

夫婦が一つとなっているところに運勢があります。
夫婦が一つになっているところは安定します。社会においても。
神様が選んだ一対一の関係なのです。
「夫婦が一つとなること」が、喜び、幸福を感じることができる中心点です。

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8月11日『今、私は何を見つめているのか?』

(天一国元年 天暦7月5日) 礼拝内容 垣内勝男教会長

わたしたちの心情がどこに向いているのか?
マイナスなことが起こったとき、自問自答してみてください。
「今、私は何を見つめているのか?」と。

神様は私たちの心を見つめておられます。姿かたちではなく、
私たちの心情が大切で、本質は内面なのです。
人を愛し、為に生きたのか?愛の復帰をしたのか?
私たちを見つめ涙し、本当に幸せになってほしい神様なのです。

不平不満は言ってはいけません。サタンが見ているからです。

私たちの心情がどこに向いているのか自問自答すれば正されるでしょう。
神様・真のご父母様に心情を向けて、慕う心情で生活をしましょう。

神様の創造理想の心情と、堕落直後の心情と、復帰の心情と、願いの心情を知って、
神様と共に生きるために努力しなければなりません。


み言訓読  訓教経(上)「神様の愛と共に生きる者となろう」

心情の世界を求めるべき私たち

心情に通じた人は、世の中のあらゆる物が自分のものになるのです。
それでお父様の心情に通じた人は、世の中のいかなる物を持ってきて、
持っていってもお父様には罪になりません。
天国世界では隣の家に行って、何も言わずに食べたい物をちょっと
食べたとしても、それが罪にはなりません。なぜなら、心情的に連結されて
いるからです。
心情を蹂躙した罪以上に大きな罪がないということを知らなければなりません。
これから私たちは神様の愛の心情を推し量りながら、私たちは神様の心情を
蹂躙した罪人であり、万物の心情を拒否した罪人であり、心情の世界を成し遂
げることができなくした妨害者であったことを知らなければなりません。
このようなことを皆さんが知り、心掛け、悔い改める人になるようお願いします。
これから皆さんは、悲しみの立場を抜け出し、
「神様、これからは悲しむのをやめ、泣くのをやめてください」と
言うことができなければなりません。
悲しい立場にいらっしゃった神様を、喜びの立場に変えなければなりません。
そういう立場でお互いに笑い、喜んで生きる所が私たちの故郷であり、堕落しない
アダムとエバが生きた本然の世界です。
そのような世界に入っていこうとするなら、天宙の理念と心情の因縁を探し求め
なければならず、神様の創造理想の心情と、堕落直後の心情と、復帰の心情と、
願いの心情を知って、神様と共に生きるために努力しなければなりません。
その神様の心情と共に闘って、その心情と共に悔い改めて、その心情と共に
死ぬ者がいるというなら、彼は死んでも生きた者であり、失っても得た人です。
のちには、この世界全部が神様の懐に抱かれて、神様のものになるということを
皆さんが認めてくださるようお願いします。

み言訓読 旧約聖書 「サムエル記 第16章7節」

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。
わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。
人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

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