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説教 2015年1月

1月25日『誠実で忠実な生き方』

(天一国二年 天暦12月6日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

枝はしっかりした木に繋がっていなければなりません。
良い実を実らすのも同様です。

神様、真のご父母様(の木)につながるには訓読することが重要です。
私たちは、真のご父母様の事情、心情に通じれば、
自分でも知らずに神様の心情に連結されていきます。
真のご父母様を強く意識しましょう。
その為、朝の訓読、祈祷、夜の祈祷が大切です。

誠実とは、誠を尽くして実を結ぶことです。
私たちは、生活の中で実を結びましょう。

神様と真のご父母様と繋がっていないと実らすことができません。
人を愛することができません。
実体のない神様が、実体のある私(の体)を通して、(神様が)成すのです。

ですから、神様を信じ、ゆだね、誠心誠意、歩み続けましょう。
神様が実を結ばせて下さいます。
具体的に実るのは、愛、喜び、感動、平安、平和、安心、誠実さ、元気、和合、統一、希望 の形で実るのです。
日々、精誠を積み、チャレンジして、このような実を実らせられるよう歩みましょう。

「主の声に聞き従う」ことは、とても大切です。
私たちは誰の声に聞き従っていくべきでしょうか?神様です。
神様の実体として来られたメシヤに聞き従って、心を尽くし、精神を尽くし歩むのです。

「聞くこと」は、重要です。
正しいみ言に聞き従っていきましょう。

真のお父様は「汚ないものを見てはいけない。聞いてはいけない、話してはいけない」と言われました。

かつてパウロは、イエス様に対する悪い噂を全て忘れ、イエス様から聞いたみ言から出発しました。
それまでの彼は、耳をふさいでいた状態でした。
聞いていませんでした。
信じず、根っからイエス様に反対していました。
反対の方向に辻褄を合わせていたのです。

私たちは、自分の主張を通すのではなく、
神様、真のご父母様のみ言を聞くことから始めましょう。

神様のみ言通りに生きていくのです。
み言に立ち帰ることが、信仰の始まりです。
愛、人格の確立につながっていきます。
愛、人格が高まっていく生活となります。

信仰(生活)は、私の人格を神様に似たものに築き上げる過程です。
それが信仰の原点であり、信仰を高めていく生活です。
生活の中に、私の愛、人格が現れる生き方が信仰生活なのです。

神様と真のご父母様に対して、一つ一つ誠実に行なっていきましょう。
環境によって、誠実であったり、不誠実であったり、とならないようにしましょう。神様はどんな時も誠実でした。
私たちも誠実で忠実にしていきましょう。それが神様の願いです。
神様の誠実さを私の生活の中に活かしていきましょう。

勝利が約束されている私たちです。
誠実に忠実に歩めば、神様が成して下さいます。
出来るから与えている神様なのです。

お祈り、訓読をし、神様との絆を深め、
隣人に対しても、神様が願われるように接していきましょう。
万物に対しても、神様の働き、神様の夢の実現の為に使われていくように用いましょう。すべて神様のものだからです。

誠実さに欠けると神様が働くことが出来ません。
祈りが聞かれない時はそのような時です。
約束したことは必ず成してくださる神様です。
誠実とは、約束を守る事です。
「私はあなたと共に居る、一緒に約束を果たそう」と。

動機、心情をいつも正していきましょう。
プロセス(心情、人格)が大切です。
純粋、まっすぐに愛の心を持って歩みましょう。
自分がない、幼子のように神様にゆだねて、
誠実、忠実な生き方をしましょう。

また、心を尽くして話を聞きましょう。
信仰は聞くことから始まります。
真のご父母様のみ言を聞くことが、勝利した内容を相続することになります。

話を聞くときは、自分の為ではなく、相手の為に聞きましょう。
どんな気持ちなんだろう?何か出来ることはないか?
心を開いて、相手が何でも言えるように、真心を込めて聞きましょう。
誠実に接する(話を聞く)ことが神様の願いです。

神様も私も一人では出来ないのです。
神様の言うとおりに、私の実体を通して成すことが出来ます。
私の体をどうぞ使ってください、と神様の願いをもって、努力、精誠、純粋にゆだねて歩みましょう。

神様の創造性を芽生えさせ、主体的に歩み、実を結ばせていきましょう。
一時的な実り(喜びなど)ではなく、神様の愛なんだ、と感触を得て感謝する私となりましょう。
試練の時こそ、神様が愛している故なんだ、と感謝していきましょう。

【み言訓読】

◎天一国経典「天聖經」
○第八篇 信仰生活と修練「真の父母に従って成長する路程」
・完全な主体であられる神様の対象として創造された人間も、完全な対象、すなわち絶対価値をもった真の対象にならなければなりません。既にその位置に立っていらっしゃる真の父母様に似て、神様が、絶対的位置で絶対相対を確保し、解放をお受けになることができる、真の理想家庭の愛の主人にならなければなりません。それが人間の責任なのです(906P)。
・私たちは、真の父母の代身者です。男性はお父様の分身であり、女性はお母様の分身です。すなわち神様は、男性と女性の二性性相の中和的主体としていらっしゃるので、男性は神様の性稟を身代わりして生まれ、女性は神様の女性性稟を身代わりして生まれたのです。本性において私たちの個体は、生まれる時から真の父母の肢体です。それで、イエス様も、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ15・5)とおっしゃいました。男性たちはお父様の肢体であり、女性たちはお母様の肢体であり、男性たちはお父様の分身であり、女性たちはお母様の分身です。ですから、神様が御覧になって、お父様の分身になることができ、お母様の分身になることができると思われれば、いくら離れていても、そこには神様の愛が宿らないわけにはいきません。お父様の事情とお父様のみ旨を中心として生きる人には、神様の心情が自然に連結されるのです。(908~909P)
◎自叙伝 「心を尽くして人の話を聞いてあげる」
・私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて聞くようになります。十時間、二十時間と拒まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それが、その人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私自身の真実の心の内も真摯に話してあげました。そして、涙を流してお祈りしました。(150~151P)
◎旧約聖書 申命記 第30章2節~4節
・あなたもあなたの子供も共にあなたの神、主に立ち帰り、わたしが、きょう、命じるすべてのことにおいて、心をつくし、精神をつくして、主の声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたを再び栄えさせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主はあなたを散らされた国々から再び集められるであろう。たといあなたが天のはてに追いやられても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ帰られるであろう。
◎新約聖書 ローマ人への手紙 第10章17節
・したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。



1月18日『全ては神が成す!』

(天一国二年 天暦11月28日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

善の交流(授受作用)をすると、愛の花が咲きます。
温かい雰囲気になります。
心地良い気持ちになります。
家庭や教会、職場で、愛の花を咲かせましょう。

けんかをすると、反対に冷たい雰囲気になります。
温かみを感じません。

自分の中でも、相手との関係でも、
チャレンジ精神で、愛をもって精誠を積み、天の願う(愛を与える)歩みをして行きましょう。

自分をなくすことが必要ですが、拒否反応が出ます。
でも天に心を向けて越えて行きましょう。
神様、真のご父母様が共に居て下さることを忘れないように
いつも気をつけましょう。
特に家庭で、神様と共にある生活をしていきましょう。

全ては神様が成すのです。
人間には出来ないことがあります。
でも、神様と一つになってやれば出来るのです。

私たちは、神様に動機を置きましょう。
神様の願いをめざしましょう。そして、
神様に喜びをかえしましょう。
神様の真の愛に触れて、一つになっていくことが出来ます。
このように、神様の為に生きる生活が信仰生活です。

神様は目に見えないので、真のご父母様を通して、み言で教育を受け、実践し、
神様の似姿になっていくのです。そのことをしっかり認識しましょう。

堕落したので、人は自分の力では神様と一つになれないのです。
その為、私たちには、信仰生活が必要なのです。

サタン中心になると、私たちは、自己中心、利己的になり
物質中心になり、堕落性中心になってしまいます。

神様中心だと、関係性を大切にし、
善を中心に、義、心情、愛を中心にした、
創造本性が中心の生き方になります。

全てを神様中心に出発する生活にしましょう。
信仰生活を通し、祈り、訓読、愛の実践をし(原理を通して)実体で変わりましょう。

一般的にも、一年の出発に、初詣をし、良い一年になるよう祈るように、
出発の時は大切です。いつも神様と共に出発するようにしましょう。
一日の初めに訓読、一週間の初めに礼拝、一か月の初めに1/10条献金を捧げましょう。
全て神様のものです。精誠をこめて出発していきましょう。
神様との関わりの中で生かされている私たちです。
神様に侍り、神様と共に生き、精誠を捧げましょう。

誕生、祝福、聖和式、すべて神様との関わりの中で生まれ、生活し、帰っていく・・・これが幸せです。
私たちは、神様から生まれ、為に生きる人生を送り、神様の元に帰り、永生していくのです。

自分自身を成長させましょう。自分自身をしっかり主管していきましょう。
縦的関係をいつも見つめて信仰生活していきましょう。
個人の信仰を高め、人格者となり、愛の器を広げましょう。
そうすれば、いろんな関係性がうまくいくはずです。
個人の恩恵を広げて、次の段階、家庭次元の恩恵も受けられるようにしましょう。

神様の力、愛の中で、夫婦、親子の関係性を持ちましょう。
それが、家庭の幸せ です。
一緒に訓読、書写をしましょう。
足元を固め定着させ実らせていきましょう。
天の近くで生きる生活です。

聖書にあるイエス様に訊ねた人は、永遠の命を得た(救われた)実感がありませんでした。
実感したくて訊ねたところ、イエス様の次の答えにつまづいたのでした。「皆売り払って私に従ってきなさい」
彼はたくさん資産を持っており、お金に執着していた(しばられていた)為その通りには出来ず、イエス様の元を離れていきました。

彼は「自分」というものを中心に生きていたのです。
自分の「我」「執着」があると神の国に入ることが出来ません。

人間は、救い(永遠の命を相続する)、神様の国に入ることに対し、
自分たちではどうすることも出来ないのです。
神様のみができるのです。
そして、神様の願いを果たすメシヤに従っていくことで(救いを)得ることが出来るのです。

イエス様が裁きではなく、愛のまなざしで、人々に説いたように、
真のご父母様は、同じ愛のまなざしで私たちを見つめておられます。
「いろんなものにとらわれず、一にも二にも私の所に駆け寄って来なさい」
「あなたの氏族を一にも二にも連れて来なさい」
祝福を受け、救いへと招きたい、という強い思いをもって、
もっと深い熱いまなざしで見つめてくださっている真のご父母様なのです。

自分のことばかりに目を向けていないで、神様にこそ目を向けましょう。
神様に向けば必ず可能性が出てきます。
人間には出来ませんが、神様には出来るのです。
神様をつかみ共に生きる生活が幸せ、救われる道です。
その道を示して下さっている真のご父母様に私たちは従っていきましょう。

今、取り組んでいる週間目標を、
純粋な心で、信じて、ゆだねて、変わらずにやり続けましょう。
神の国に入れるのは、幼子だとイエス様は語られました。
幼子は、自分一人では立てず、親に全面的にゆだねるしかありません。
純粋で、自分がないのです。
私たちは、神様に純粋に、自分をなくし、ゆだねていきましょう。
そうした分、幸せになる事が出来るのです。
我、堕落性の強い自分に固執せず、幸せに導こうとする神様、真のご父母様の愛に対して、霊性、直感力を高めていきましょう。

神様を知り、原理、新しい真理を知り、真のご父母様と因縁を持ち集った私たちは、とてつもなく貴いのです。
自分自身、神様に近づいている手ごたえ感を感じ、納得する歩みをしましょう。自分の中で、祈り、吟味し、意欲的に、前向きに日々歩みましょう。

【み言訓読】天一国経典「天聖經」

◎天一国経典「天聖經」
○第八篇 信仰生活と修練「信仰生活は神様に侍る生活」
・信仰は神様に侍る生活、侍りながら共に暮らす生活です。その道を行かなければ安らかではありません。すぐに体に支障を来たします。環境に支障を来たすというのです。信仰生活は、天に侍って共に暮らす生活です。朝に日が昇り、お昼になり、夕方になって日が沈むのは変わりません。千年、万年変わらないのです。その軌道が狂うことになれば、すべてのものがずれていきます。愛の心、真の愛の道を訪ねていかなければなりません。真の生命、真の血統を受け継いだ人は、神様の眷属になって、いつも神様と共に暮らすというのです。自然と共に喜びながら生き、自分が行き来する生活を喜んですることが、神様と共に暮らすことなのです。
・信仰生活には、団体の信仰生活もありますが、個人の信仰生活もあります。団体の信仰生活をすれば、平均的な恩恵は受けることができますが、個人の恩恵を受けるのは困難です。個人の恩恵を受けるための生活は、天の近くで生きる生活です。深い祈りと自分自らの生活の中で、どれだけ天と近く生きるかによって、個人の信仰が高まるというのです。
○第十一篇 礼式と名節
・神様のみ前に精誠を捧げるとしても、手つかずの物をもって精誠を捧げなければなりません。そのようにしてこそ神様と関係を結べるのであって、使い残した物で精誠を捧げてはいけません。十分の一献金は、一番精誠を込めた手つかずの物でなければなりません。それが祭物です。祭物を捧げるときは、手つかずの物を捧げなければなりません。もし、息子を祭物として捧げるとすれば、一番良い息子を捧げなければならないのです。祭物は「私」の代身だからです。

◎新約聖書 マルコによる福音書 第10章13節~
・イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。
・イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
・それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。

1月13日『天運をつかんで、“やればできる私(の姿勢)”を造ろう』

(天一国二年 天暦11月23日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

私たちは、2020年1月13日(天暦)を目指し、天一国創建、祖国復帰に向かい歩んでいます。
2020年の東京オリンピックは、全世界が一つになり喜んで臨める祭典にするのが天の願いです。

大泉教会の今月のスローガン
「2015年の幕開け、君は燃えているか!
愛と精誠と挑戦で祝福の大輪の愛の花を咲かせましょう!」

これを成すためには、まずは、天運をつかむことが大切です。自分の力では限界が来ます。
天運をつかむ為の姿勢づくりをしましょう。
そして「やればできる私(の姿勢)」を造りましょう。

神様、真のご父母様の無念な心情をよく認識しましょう。
そして、謙虚に自分をなくしましょう。
今は侍義時代です。いつも真のご父母様が一緒に居る認識を持ちましょう。
朝晩のあいさつをしましょう。
食事の時は「先に召しあがって下さい。私も食べて頑張ります。」と伝えましょう。
夜休む時「明日の為休ませてもらいます。ご父母様も楽に休んで下さい。」と伝えましょう。

24時間、ご父母様を慕う生活をするのです。
朝は書写と訓読をして、ご父母様と共に出発する心情を作って出発します。
家庭での信仰生活の定着をしていきましょう。
特に2015年は、家族でやるようにしましょう。

一緒にやることが貴いのです。
訓読、書写が一緒に出来て出発するのは、
同じ事情圏、心情圏で、神様、真のご父母様と共に1日を出発出来ることになります。
1行でも一緒に訓読して出発すると違ってきます。

神様、真のご父母様の息子、娘になるためには、
真のご父母様と共に生きなければなりません。
侍る生活は、天国に入る資格を持つことが出来ます。
そうして、愛し、許し、感謝して侍っていき、最後、私たちは一つになっていくのです。

私たちは、日々の生活で、「侍る」ところから始めましょう。
真のご父母様に向かう心情がないと、感謝する思いもないし、
相手を許そうという思いも沸いてこないし、愛することもなかなか難しいのです。

真のご父母様との関係性が近くなればなる程、感謝出来るし、許そうと思え、愛そうと思えるのです。
続けていけば、一つになっていく方向に必ずなるのです。

24時間、頭と心から真のご父母様を離さないようにして、
家庭における侍る生活、規範のある生活をしましょう。
天運を相続するには原則があります。
天運の中心である真のご父母様と一つになることです。

いつも真のご父母様が共にあるように、侍っていくと一つになることが出来るのですが、それは、アベル・カインの一体化で成せます。
目の前の牧会者と皆が一つになれば、天運の中で勝利が出来ます。
いかに一つになれるかどうかです。
全ては、私が侍るところから始まるのです。

天運、天の協助を頂くにふさわしい生活をしましょう。
ふさわしい私になりましょう。
原理、天一国憲法に基づいた歩みとなるよう努力することが大切です。
そうすれば真のご父母様と一つになれ、皆が一つになって、天運が来ます。

自らの成長、変革に挑戦しましょう。
自分を変えるのは、自分です。
反省、悔い改めをし、また新しくチャレンジしていくのです。
やり続けるのです。

また、聖書に「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなさい」とあります。
ぶどう酒は、「天運、真の愛、生命」
皮袋は、「観衆、観念、考え」 と置き換えてみると、
イエス様は、新しい愛、生命のみ言を、皆に天運を創造くさせたいという思いがあって語られましたが、古い慣習に固執し人々は受け入れられませんでした。
古い皮袋ではぶどう酒が駄目になってしまうのと同じです。
私自身が変わらなければいけない、ということです。

天運、真の愛、生命を相続する、受けるのにふさわしい新しい私になりましょう。
原理的でないものは変えていきましょう。
堕落性を転換していきましょう。
新しい考え、心情、人格、言動にしていきましょう。

新しい自分を変えていく中にあって、天運、愛、生命を相続することが出来ます。
それが、永生に連結される歩みにもなっていくのです。
新しい発想を私たちが持っていくべきです。
今までの古いもの(考え)は邪魔をするのです。

こういう私に気づく努力をしていく中にあって、
「やればできる私」になるのです。
やればできる私になりたい、という姿勢を持っていくべきです。
神様、ご父母様がいらっしゃるので、天運の中で一つになれば、やればできるのです。

愛するために、一つになっていくために、そして、
天運を連結させたい、愛を与えたい、命を天に連結できるようにしてあげたい、という思い(新しい考え、心情、人格、言動)で人々と接していきましょう。

勝利の秘訣は、一つになることです。
ご父母様と一つになった土台の上で、立てられた中心と一つになりましょう。
最終的に私の実体がどうなったのか?
自分だけのことだけを考えては満足できません。為に生きなければなりません。

相手が喜ぶような言葉、愛の言葉、言動をなしていくと、相手は変わっていきます。自分が変わるべきです。
ご父母様が共に居ると思うと力が出ます。

いつも感謝している、と伝えながら、一歩、方向性を変えるのです。
やれば出来るのです。前進する方向へ行くようにしましょう。

ご父母様に侍る姿勢を続けると本当に違います。
ご父母様に侍る姿勢、心情が私たちの中にあるか、どうかです。
出来ていない自分に気づくことです。
真のご父母様と共にする、と意識をいつも持っていくようにしましょう。

日々の生活圏の中から努力して変わっていきましょう。
自分を否定、犠牲にしないと出来ません。
そう出来る自分が変革することができるし、
私たちが願い、神様が願う夫婦の姿、私の姿に近づいていくことが出来ます。

2020年に向けて、やればできる~精誠と挑戦~を継続し続け、
本当に出来た、いう私になりましょう。
神様、ご父母様は私といつも共にあります。
天運をつかみ、天運と共にあれば、やればできる私を造ることが出来ます。
真のご父母様と共に一つとなって歩んでいきましょう。

【み言訓読】新約聖書他

◎新約聖書 マタイによる福音書 第9章17節
だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう。

◎文鮮明先生み言集より
・『神の目的と我々の目的』1965.1.28本部教会、祈祷
・・・・・・日本には、こういう集まりは、この人たちしかないと思う時に、神よ、覚えて下さい。そして、最後に勝利を得るように力をつけて下さい。そうして、神の前にいつも勝利の勇士として立ち得ることができますように守って下さい。幾日間ここにとまる時、すべてを打ち明けて、神が喜ぶ時間を過ごすことができますように御守って下さらんことを切にお願い申し上げます。若き心の中から神を誉め讃える讃美の声が、この地から日本全国に広がることができますように。
 神は真に我々を立たてて下さるために、涙でもって辿って来ました。血と汗でもって辿って来ました。無条件に我々は受けましたから、無条件の涙、無条件の血と汗とを惜しまないで、前進、前進、神の目的地に先を争って走ることができますような食口たちにならしめて下さい。神にすべてを捧げますから守って下さい。神の平和と神の希望と神の喜びと、我々の努力のもとに、あらゆる動きとして、それを受け入れて下さいますように。我々は、忍び忍んで行かなければなりません。神は我々を守ってくれなくてもいい。そして、そこにおいて、神を讃美しえることが、凱旋の再建の歌を歌うことができますように、我々を御導き守って下さることを切に祈りながら、今日のすべてのことを感謝しながら、真の親の御名を通して祈ります。  (アーメン)。

1月4日『やればできる! ~精誠と挑戦~』

(天一国二年 天暦11月14日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

天を信じ共に力を合わせてやれば出来ます。
一緒になって皆でチャレンジ精神で頑張っていきましょう。
私がもっと変わっていくんだ、と決意しましょう。

イエス様が受けた三大試練は、私たちの環境圏でも与えられます。
私たちが目指すものは三大祝福です(個性完成、家庭完成、万物主管)。
その為に越えるべきものを越える為、必ず試練が出てくるのです。

神様の意図、願いがあって、与えられる環境圏ですから、
一つ一つに感謝していくべきです。
万物に主管されず、時間を守りましょう。
感謝して、為に生きましょう。
神様を中心軸に見つめていきましょう。

今は、神様の願いが成就する時です。
神様の恨がとけ、真のご家庭を中心に、真の愛が始まる時であり、
私の家庭で真の愛が始まる時なのです。
万物がどれ程喜んでいるでしょうか。

家庭が完成するのが天国です。
個人が幸せを感じるのは、仕事をしている時ではなく、
家庭なのです。
そこに神様が降りてきて、真の愛を中心に、
家族(夫婦、親子、兄弟)の関係が築かれていくのです。
いくら、地位やお金があっても家庭がうまくいっていないと地獄です。

人間は、神様が一緒でないと幸せになれないのです。
堕落しなければ、人間は神様と一緒に幸せを築くはずでした。
神様、真の愛ぬきの幸せは一時的で、いずれ不幸になります。
絶対的な愛の関係、これが究極の教えです。

霊界では、夫婦が一つになっていて2つに分かれず重なっています。
神様の元に帰っている状態です。居心地が良いのです。

神様、真のご父母様に侍っていく生活をしましょう。
簡単ではありません。感謝が出来ないものです。
でも、神様の方向へ向かって行こうとする生活を続けることが大切です。
そうしていけば、心情が転換されます。

侍ることが出来ない私たちですが、侍ろうとしている状況、行為によって、
神様、真のご父母様から力を頂くことが出来ます。
そして、変わっていくことが出来ます。

感謝の思いを持つことが出来、表情も変わります。やわらかくなります。
また、「許そう」という思いが沸いてきて、
「愛する」思いも沸いて、実際に愛することが出来ます。
そうして、一つになることが出来るのです(一つになる方向へ向かえます)。

最初から一つにはなれません。許すことはできません。
許すために、一つになるために、まず、神様、真のご父母様に侍っていきましょう。
そして、感謝し、愛し、一つになるのです。
この流れをはっきりと自覚しましょう。

神様が共になければできません。
その為には「訓読」が特に重要です。
訓読したみ言のごとくに生活の中で実践しましょう。
神霊と真理にあふれ、お父様、霊界が共にあって導かれます。
お父様の心情に通じながら、
神様とお父様の代わりになって出会っていきましょう(伝道)。

心が熱くなっている(本気、真剣)と、主体的なので霊界が働きます。
強く熱くなるほど成就します。

また、サタンが侵入できない基台を立てることが大切です。
それには、一つになることです。カイン、アベルの一体化です。
一つになると神様が守り、霊界が協助してくれます。

批判せず、父母の心情、僕の体で、自己否定、自己犠牲の道を行くのです。
納得できなくても、最終的にゆだね、受け止め、やってみましょう。

最終的に神様のみ旨成就と共に、
私の喜び、幸せの実感を持つには「私の実体がどうなったか」が重要です。
自分の実体がどうなのかが問われます。

私の心と体が一つになったのか?夫婦、親子が一つになったのか?
万物を愛し、感謝し、愛を与えて美を感じているか?
万物と一つになっているか?です。
神様の願われる(三大祝福成就の)姿になっているのか、ということです。
神様の愛、万物の美を感じることができる、ということです。

霊界に行くとき、自分で問われます。
神様の世界ですから、神様の意向に合う自分をつくりましょう。
そうすれば霊界で何の悩みもありません。
自分なりだと苦しいのです。

家庭での信仰生活を定着させ、規範のある生活をしましょう。
聖業(神様のみ意を行い、親を喜ばせる)をなす時、
お母様と一つになって、お母様を思って出来たのか、が大切です。
そうすれば、それらが、とても価値があることになります。

自分なりのとらえ方だと、サタンが持っていきます。
原則があります(アベル、カイン)。
立てられた父母の代身(教会長)から来るメッセージを意識して歩んでいるか、です。
礼拝に来ることは重要です。

心を燃やし、情熱を持って歩みましょう。
天が共にあります。
その姿勢を作るには、神様、真のご父母様、み言からしか力は来ません。
そして、愛中心の関係を持てば、具体的にもっと力が出ます。
力を合わせて出発しましょう。

【み言訓読】礼節と儀式他

◎天一国経典「天聖経」、第五篇 真の家庭
○祝福結婚の意義と価値
・祝福が行われる今の時は、神様の願いが成就される最高の時であり、六千年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地に来て苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成就される時です。それだけでなく、その息子の家庭を中心として愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊敬と栄光を受けることができる時です。罪悪がすべて消え、光明の太陽が昇る明るい天地を迎える日であり、すべての自然が和動し、すべての動物が踊りを踊るのどかな朝、勝利の朝を迎える日なのです。
・神様が男性と女性を造り、三大祝福をしてくださったのは何であったかというと、家庭完成の理念によるものでした。「生めよ、ふえよ・・・地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記1/28)と言われた三大祝福は、個人が完成するものではありません。家庭において完成するものです。ですから、家庭は個人が定着できる安息の場です。一つの理想の基地です。いくら優れた男性や優れた女性だとしても、その家庭に父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、兄弟がいなければならないのです。
・なぜ絶対的に男性には女性が必要で、女性には男性が必要なのでしょうか。絶対的な愛のためです。絶対的な愛は、なぜ必要なのでしょうか。神様を占領するためです。なぜ神様を占領しなければならないのでしょうか。神様を占領すれば、神様が「私」のものになるからです。愛には相続権があり、同居権と同参権もあります。ですから、神様が私のものになり、神様の被造物すべてが私のものになるのです。
・霊界に行ってある女性の中をのぞいてみると、笑っている顔の男性がいます。それで、「男性の顔が見えますが、それは誰ですか」と尋ねれば、「夫です」と言うのです。一つになっているので、二つに分けられません。死んでも、永遠に共に生きていくのです。そのように愛し合った男性は、女性の胸の中で一つになっています。また男性の中には愛する夫人がいます。それが幸福です。結局、これは神様に帰るということです。
◎原理講論 「メシヤ再降臨準備時代」
○第四節 世界大戦
・イエスの路程は、すなわち信徒たちが歩まなければならない路程であるので、信徒たちはイエスが荒野で受けた三大試練を、個人的に、家庭的に、国家的に、世界的に乗り越えなければならない。このようにして、全人類がイエスのこの三大試練を三次にわたって世界的に越えていくのが、すなわちこの三次にわたる世界大戦なのである。(539P)




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