世界平和統一家庭連合 大泉家庭教会のホームページへようこそ!

説教 2015年3月

説教 2015年3月

3月29日『青い羊の心で、親孝行しよう!』

(天一国三年 天暦2月10日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

真のお母様は、意識の中心に、真のお父様を置かれています。
特に聖和されて40日間は、食事を共にされ、お父様と会話されていました。
お母様は、お父様と通じ合っておられます。それで、強気で堂々とした姿勢で歩んでおられるのです。

3月17日は、長男 孝進様の命日でした(2008年聖和)。
お父様を慕ってとても親孝行をされた、とお母様は語られました。
霊界で今、常にお父様と一緒におられ、手足となって支えておられます。

聖和1000日目にあたる 2015年5月31日は、侍墓生活1000日の特別な日です。その日に向けて、悔い改め、精誠を込めて生活しましょう。
み言を信じて実践しましょう。
コツコツとご父母様を慕い、侍り歩みましょう。そして、もっと意識して生活しましょう。
青い羊のような心情で、従順、自分がない、純粋、素直な、清く透明な澄んだ心で歩みましょう。
そうすれば絶対善霊が協助します。

霊界を解放し祝福したことは、真のご父母様の本当に大きな実績です。
私たちだけでは難しいですが、霊界の助けを頂き、可能にしていけます。

孝進様は「胸で体験したことは永遠に行く」と考え、音楽を通じて(み言を)伝えようとしておられました。

胸の奥深い底で触れたこと、感じたことには、迷いがなく変わらずに歩んでいけます。
み言を自分のものに出来ていきます。

反対に、頭で考えると、人は変わってしまいます。
自分に都合の良いことだけ受け入れ、裏切ることがあります。

常に一定で変わらない不動の心が本当の私です。
まるで別人のように集中、投入出来て、能動的、活動的です。
本物なのです。
私たちは、心情で理解することが大切です。
継続して、毎日やり続けましょう。限界が来ても越えていくことが出来ます。

愚かな人は、自分が正しい という観点で見つめ相手を否定します。感情が害されると冷静さを失い怒ります。沈黙すべきです。

知恵のある人は、こういう人(考え)もいるんだ、と学習し、器を広げるのです。
横と比べて裁くのではなく、頑張っている人を見て、自分もその人を目指して頑張ろうとします。

言葉の使い方で人生は大きく変わります。言葉で人を殺すことも出来、生かすことも出来ます。
聖書にあるように「人は聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅く」あるべきです。
天からの知恵を頂きましょう。
清く平和、寛容、温順であり、あわれみに満ち、偏りと偽りがない、皆が願う状態になります。

メシヤとしての責任は、真のご父母様が全て成されました。
後は、私たちの責任です。

・伝道(神氏族的メシヤ)の使命を果たすこと
・天の伝統を守っていくこと

必死でやるのみです。
親孝行をなす心情が大切です。

お母様が地上におられる時に頑張りましょう。
お父様の意識を相続して歩まれているお母様と一つになって歩みましょう。

青い羊の心で、本当に親孝行しましょう。
幸せになろう!という強い意識、宣言をして、訓読、愛の実践を成して、愛の花を咲かせましょう。

【み言訓読】

◎真のお母様のみ言(日本トップガン 2期生修了式2015.3.18)
・(孝進兄さんは)3年間に1万曲を作り上げた。これは人間の力では不可能な事だったのです。その作詞作曲を一人で全部したのだから、昼も夜もなく生活がデコボコで、今の健康法で言えば身体リズムがすべておかしくなり壊れてしまったのです。だから肉身の限界があるために、ずっとそのようにエネルギーを消耗するようになったら、補充して上げなければいけない。こういう性格もお父様にとても似ているのです。お父様が聖和されてから千日になろうとしていますが、この息子も肉身がどんな状態なのかということを分からずに生きていた。地上なのか天上なのか分からずに生きていた。それで若くして逝ってしまったのです。この息子の言った言葉と考えが思い出されたので話したのです。
・人間が頭で考えることは、「その時の状況によって変わる」ということです。裏切るということもあるのです。自分に良い側、都合のよい側に行ってしまうのです。しかしこの息子(孝進様)は「胸で体験したことは永遠に行く。だから自分は原理のみ言で伝道することも重要だけれども、まず胸に響いてからみ言を受け入れるようにしよう。」と、この努力をしていたのです。
・これから公職者生活はクリアでなければなりません。透明じゃないといけない。口から出る言葉と、行動が同じでなければいけないし、実践しなければならない。だから言葉を重々しく扱わなければならないのです。
・あなたたちはあまりにもたくさんの福を受けました。手に余るほどの福を受けたけれども、感謝する心と福は、分かちあう程に、もっと大きくなるのです。私のものだけ、と考える人はそれ自体で終わってしまうのです。それを真の愛で分かちあう人は環境が広くなり、また環境が大きくなるのです。
・祝福家庭や皆さんが、根をどれだけ大きく、深くするのかは、氏族的メシヤの責任を果たさなければならない。それは伝道をしなければならないということです。あなたたちの環境圏を広げなければならないのです。・・・あなたたちが生き残る道は伝道をすることです。
◎旧約聖書 箴言 第12章15~19節
・愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。 愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない。真実を語る人は正しい証言をなし、偽りの証人は偽りを言う。つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである。
◎新約聖書 ヤコブの手紙 第3章13~17節
・あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはなら
ない。そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、
偽りがない。

3月22日『真の愛の道③』

(天一国三年 天暦2月3日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

十字架の道が避けられない目前、
「彼らをお守り下さい」と、
イエス様は、弟子たちの為に、神様に祈りました。

私たちも、愛する人の為に祈りましょう。
大切な人に対して、思い、意識し、浄化精誠していくことは素晴らしい事です。
自然体で出来ると良いです。
健康でありますように、と互いに祈り合う(愛し合う)と通じ合う世界があります。

形式ではなくて、情がいき、情が一つとなって、心情が自発的であることが大切です。
そうすれば、心霊と真理に満ち溢れた教会、家庭となれます。

イエス様が弟子たちの為に祈られたのは、メシヤだから、ではありません。
親として、心配で仕方なかったからです。

イエス様は、ご自分を証する為に書かれた聖書の内容を弟子たちに伝えています。
私たちも原理を中心としたことを伝えることが、神氏族メシヤの道で、真実に正しく伝えることになります。

今は、生死の決着をつける時なので、様々なことが、世界中で収拾していく為に起こっています。
私たちも心が惑わされしたり、フラフラしたりする状況に追い込まれやすい時です。

心の戦いに負けないようにしましょう。
オリーブの木が深く根をはるように、天の父母様と真のご父母様を縦的軸として、しっかりと立て、羊のように純粋、従順に歩みましょう。

為に生きようとする思いがなければ越えられません。
神様は、人間を、真の愛の為に、為に生きるように造られたからです。

「相手の為に」が自分の中にしっかりあれば、何も問題はありません。
犠牲、苦労が喜びになります。
険しい程、大変な程、高い次元の愛を持つことが出来ます。
さらに、神様が愛を投入出来るのが統一教会の道です。

義人や中心となる人は、犠牲になり、為に生きる人でした。この世から見ると不幸で、批判されました。
その最たる方が、真のご父母様です。

人の愛は、感情に左右されやすいです。天の心情と関係がないからです。
土台が自己愛、自己中心です。
愛が瞬間で憎しみに変わります。

怒りは次の日に持ち越さないようにしましょう。そうでないと、憎しみ、恨みになっていきます。

神様は、私を許されました。神様のとりなしの中で生かされている私です。
イエス様は十字架上で「彼らは何をしているのか分からないのです。許してください」と祈られました。
真のご父母様も、祝福を与えることが出来ない、あり得ない私たちに、
祝福を与えて下さいました。皆が創造本性を発揮した姿を見て与えて下さいました。
ですから、私も相手に対して、とりなし、神様の愛の中で生きていきましょう。転換する努力をしましょう。

真の愛で越えられた真のご父母様に従っていく私を造りましょう。

人は、蒔いた通りに刈り取ります。
売り言葉を言えば(蒔けば)、買い言葉、
怒りを蒔けば、怒りが返ってきます。
憎しみは、争い、恨みを起こします。良いものは一つも出来てきません。
やがて精神的にやられてしまいます。

私たちは、良いものを蒔くようにしましょう。
愛を蒔きましょう。それは、思いやり、為に生きることです。
相手を傷つけることなどの言ってはいけないことは、言わないように(避けるように)しましょう。
忍耐でおおいましょう。
愛は、すべてのとがを覆い、許します。許せないものがありません。
み言を信じ、守り、実践する者になりましょう。

世界会長に就任された善進様は「真のご父母様が、無条件に愛し、いつも一緒に居て下さることを忘れないで下さい」と語られました。

すべては幸せになる為にあり、神様から与えられています。
「私は幸せになるんだ」と宣言しましょう。
そして、毎日意識して生活しましょう。

朝「今日一日、幸せになります」と宣言しましょう(種を蒔きましょう)
行動する前に「幸せになろう。幸せにやろう。」と宣言しましょう。

「今を幸せと思う人が10年後も幸せである」という言葉があります。
幸せになる考え方をしましょう(勝てる考え方をしましょう)。
不幸な時、教訓に気づき、次に生かしましょう。
前向きに、未来を見つめていくのです。
そうして、幸せの種蒔きをして、愛の花を咲かせましょう。

いろんな時がありますが、負けないで、出来る精一杯をしましょう。
感謝して、前向きに、愛の実践に取り組みましょう。

【み言訓読】

◎天一国経典「天聖經」
○第三篇 真の愛、第三章 真の愛の実践
・人の生命は、愛の理想を中心として宿ったものなので、人間の生命の本質は愛です。ですから、愛を本質として生まれた生命は、神様がそうされたように「ために生きる人生」を生きなければならないのが天理原則です。したがって、人間は、真の愛のために生まれた存在だと言うことができるのです。
真の愛は、ために生きるところから始まります。創造本然の人間は、その心と体に神様の真の愛を備え、そのまま感応しながら生きるようになっています。言い換えれば、心は真の愛を中心として神様と感応し、体は自動的に心に共鳴するのです。体と心が闘わない真の統一の起源は、神様の真の愛をそのまま引き継いで体感するところにあるのです。(341P)
・愛の道は、自分のために生きることではなく、自分を犠牲にすることです。愛する人の一言を聞けば、十年の苦労も克服できるのです。それは驚くべきことです。愛する夫や愛する妻と約束した一言を中心として、十年どころか一生の間も苦労できるのです。そして、その克服すべきすべての過程が険しければ険しいほど、難しければ難しいほど、悲惨であれば悲惨であるほど、約束した内容の愛は、より高い次元の立体的価値をもつようになるのです。(342P)
・犠牲の立場に追いやるのが愛です。それ自体は納得し難いかもしれませんが、倒れて死んで祭物になる背後には、神様の愛が自分も知らない間に積み上がっていくのです。ですから、それを広げて氏族圏を越え、それを広げて民族圏に影響を与え、それを広げて国家の基準を越える日には、新しい国の旗を掲げて世界に向かって進軍できるのです。その目的に向かっていく道が、統一教会の道です。(334P)
・犠牲になる人は、必ず中心者になります。家庭において孝子とは、より犠牲になる人です。ですから、家庭の中心なるのです。国の愛国者は、より犠牲になる人なので、国の中心者になります。聖人の中でもより犠牲になる聖人が、聖人の中の中心になります。これが天理なので、この天理の道に厳粛に従っていき、すべての分野で和合できる人にならなければなりません。そうすれば、神様の新しい希望が宿り、神様の愛の力が加重されます。(345P)
◎新約聖書 ヨハネによる福音書 第17章11節
・わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
◎新約聖書 ルカによる福音書 第24章27節
・こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
◎新約聖書 ヤコブの手紙 第1章19~22節
・愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
◎旧約聖書 箴言 第10章12節
・憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。

3月15日『真の愛の道②』

(天一国三年 天暦1月25日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

私たちにとって、生活する全てが、愛の実践です。
イエス様は「愛し合う者が私の弟子と認定出来る」と語られました。
「私がしたように互いを愛し合いなさい」これが、イエス様の遺言でした。

真のご父母様も「互いに愛し合いなさい。近い人と程愛し合いなさい」と語られました。そうすれば、私たちは、真のご父母様の息子・娘となれます。

互いに愛する努力をし、失敗することもありますがめげずにやり続けましょう。謝って、もう一度愛しましょう。
優しい言葉を投げかけていきましょう。

愛すること(愛の実践)は、具体的には次の2つがあります。

1.思いにおける愛
2.行動における愛

1.思いにおける愛は、祈りです。
思いを持って愛することです。
「私の中に〜を愛せる思いを下さい」
「〜を愛することが出来るよう、力を下さい」
こう祈りながら、思いを神様に向け、力をもらい、具体的に展開します。

大切な人と一つになり、仲良く、幸せに過ごすには、天の父母様から力を頂くしかありません。

家族が今日1日無事に過ごせるように、
帰宅後、互いに笑顔で過ごせるように、と
朝、昼、夕に願い続けましょう。

2.行動における愛は、具体的な愛情表現です。
イエス様が弟子たちにしたことは、次の3点でした。
①共に食事をする
②共に歩く
③「愛してる」と言う

愛の実践は、一人で出来ません。
対象が居る具体的行動で、二人が共有しています。
相手の立場に立って共感、共有する場です。
相手の為に動くと力が出ます。
そしてその結果、全部自分に帰ってきます。
愛を与えたら美を返すのが原理だからです。

神様の為に歩んだ歴史上の人々は、悔しい思いを辿ってきました。
私たちも同じ道を辿ります。
悔しく、恨めしい道、忍耐しながら歩む道ですが、私以上に悔しい思いをしている神様です。

やっても、やっても上手くいかないこともありますが、今は、すべての恨みが解かれる時です。
訓読と愛の実践を継続していくことが重要です。

真のお母様は、真のお父様と一つとなっておられる神様の総司令官です。私たち祝福家庭は神様の精兵であり、真のご父母様の代身です。
大きな願いがかけられています。

挑戦し続けて、背を向けず、歩みましょう。
外的な環境よりも、心の闘いです。
強い心(神側)、弱い心(サタン側)のどちらが勝つのか、妥協せずこの闘いに勝利していきましょう。

中心軸(神様、真のご父母様)が崩れなければ、負けることはありません。私の中のサタンをハッキリ分別しましょう。
神様、真のご父母様がおられるので、越えて行く道があります。

天一国にふさわしい私、家庭を築く為の実践だと意識と自覚をもっていきましょう。

真のご父母様中心に一つとなって、やれば出来る、と信じ、勝利に向かって歩みましょう。
最後は自分との闘いです。
神様、真のご父母様をしっかり掴んで歩みましょう。

【み言訓読】訓教經(上)他

◎訓教經(上)
○神様の一線に立つ私たち(1960.12.11前本部教会)
・終わりの日とは、神様が愛の手を伸ばし「私の息子、娘よ」と言って万民を抱くためにいらっしゃる時なのです。ゆえに、神様と人間が共に自由を天地で謳歌できる時になれば、神様の復帰歴史も終わり、私たち人類の願いもすべてなされるようになるのです。
・ノアも悔しい思いをし、アブラハムも悔しい思いをしたのです。神様のためだという一念で歩んでいたヤコブも、ハランに向かって出ていく時、石を枕にしながら涙を流す路程をたどりました。モーセも同じです。モーセは、天に向かう心が切実に込み上げてきて、ついには宮中を捨て出ていきました。一片丹心(偽りのない真心)、目的に向かう光り輝く忠節の心にかられ、苦役に苦しんでいるかわいそうなイスラエル民族を尋ねていったのです。そういうモーセの歩みは悲壮だったというのです。
・しかし、環境が変わって自らの体が惨めで取るに足りないような状況になったとしても、彼の一片丹心は変わることがありませんでした。自分が行く道は、歴史的な祭物の道であり、道人たちが行き残した歴史的な路程であることを知ったモーセは、歴史的な道を行く民族の友となるために努力し、未来の数多くの人間が行かなければならない修道の路程を開拓する責任者の立場で、四十年間羊を追う生活をしました。草原地帯をカナンの地と見て、草を食べている羊の群れをイスラエル民族と思い、羊を抱き締めて泣いたモーセだったのです。
・その地と羊の群れを抱き締めて「神様!」と叫びながら涙するモーセを見ていた神様は、モーセの心情の基盤が祝福することのできる基準となったので「お前の立っている場所は聖なる場所である。靴を脱ぎなさい」と言われ訪ねてこられたのです。モーセはかわいそうな立場にありましたが、切実な心に満ちて叫んだので神様と因縁を結ぶことができたのです。神様のために歩む道は、このように悔しく恨めしい道であるというのです。
・終わりの日は、その恨みを解く時なのです。私たちは、このように恨めしく思われる神様を思い、あふれる心情で世界に向かい、のろしを揚げて進みゆくことのできる群れとならなければなりません。世界の運命は、今や生死を決着づける時に至っています。
◎新約聖書 ヨハネによる福音書 第13章34~35節
・わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。
◎新約聖書 マタイによる福音書 第9章9~11節
・さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
◎新約聖書 ルカによる福音書 第24章13~15節
・この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、このいっさいの出来事について互に語り合っていた。語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。

3月8日『真の愛の道』

(天一国三年 天暦1月18日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

真の愛の道は、統一教会の行く道、歩むべき道です。
そして、人類すべての人が行くべき道であり、原理どおりに歩む道なのです。

わたしたちは、真の愛を成長させた度合いに応じて天国で暮らすようになります。

真の愛の実践をして、真の愛の花が咲くと、気持ちが良いのです。
みんながそこに居たくなり、住みたくなります。

神様の前に、私たちは、複雑な心情にならず、まっすぐな心情、姿勢でいるのが良いのです。
神様優先で生きる私になりましょう。

それは、自分があると出来ません。
自分が強いと、まっすぐ純粋になれないのです。

サタンに勝つには、アダムが出来なかった、神様のみ言を信じ、実践し、超えることです。
実践した後には、神様の愛が連結されているのです。
神様の祝福が待っています。「よく頑張ったね、よく超えられたね」と。
条件が満ちたとき、結果が出るのです。

神様は愛を展開していく中で、人間を創造されました。
人生の目的は、成熟して神様と永遠に真の愛の関係を実現することにあります。

私たちは、周りの方たちと真の愛に近い関係であれば、
神様との真の愛の関係も築かれているのです。
愛が伝わり喜びを感じると、神様の愛を実現させることが出来ているのです。

愛がなければ、一切は無益です。
信仰のみではなく、行い、実践が必要です。

愛することを神様は願われています。
まず神様を。そして、隣人を。

「存在を喜ぶ」ことを心がけましょう。
無条件にその人の存在を喜ぶ見つめ方をしましょう。

そのためには、
1.真のご父母様を信じること・侍ること
2.神様がどれほど私を愛しているか!を知ること
3.与えられている隣人の存在がどれほど大切なのか!を考える時間を取ること

一人ひとりが本当にかけがえのない存在だと確認する時間になります。
自分の観点で見つめると、相手の立場で考えられません。

幸せになろうと一生懸命生きている、その人の立場に立って見つめましょう。
抱えている事情がありながら一生懸命生きている一人ひとりなのです。
みんなで助け合っていきましょう。その人の為にお祈りしていきましょう。

当たり前に与えられていることが本当に感謝なのです。
今日が最後の一日だとしても後悔がない精一杯の歩みをしましょう。
一瞬一瞬の積み重ねがとても大切なのです。
共有する時間を大切にしましょう。

感謝し、許し、愛することで一つになれます。和合・統一に向かいます。
マイナスの要素だけを見て人を判断しないようにしましょう。

大切な人に対しての見つめ方、対し方を考える時間を持ち、
大切なんだということを認識していきましょう。

真のお母様は、白い雪のように、美しく汚れを知らない生活を生きていくように、と
語られました。
従順で、自分がないのが羊です。
今年は青羊の年です。
姿勢、特性を、羊から学ぶようにしましょう。

真の父母様しか世界を収拾できません。
真の愛の勝利をされたからです。

オリーブの木は、しっかり根をおろすのに15年かかりますが、
悪条件の土地でも超えていくことができます。
神様、真のご父母様への信仰・縦的な中心軸がしっかりと立つことと同じです。

愛の実践をなしていく先駆者になってほしいお母様です。

真のご父母様が絶対です。
真のお父様と一つとなった真のお母様と一つになることが大切です。

真の愛の道(絶対信仰と実践)を歩み、天一国にふさわしい私・家庭・教会・日本に創り変えていきましょう。
8月30日の聖和3周年に備えて歩んでいきましょう。

【み言訓読】◎天一国経典「天聖經」他

◎天一国経典「天聖經」
○第三篇 真の愛、第三章 真の愛の実践
・神様が人間を呼んで直ちに「来なさい!」と言う、その道が愛の道です。その真の愛の道は直短距離です。真の愛の道は、直短距離なので、まっすぐに行かなければなりません。(338P)
・私たちは、サタンと戦って勝たなければなりません。勝てない人は、天に帰って行くことができません。勝とうとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。堕落したアダムが問題です。アダムができなかったこと、それ以上のことをしなければなりません。アダムは、神様を絶対的に信じることができませんでした。ですから、アダム以上の人になろうとすれば、神様のみ言を絶対に信じなければなりません。アダムは、神様のみ言を中心として実践できませんでした。これが堕落です。実践した後には、神様の愛が連結されます。本来、堕落していない人間が行かなければならない道は、神様のみ言を信じて実践して超えることです。そうしていたならば、神様の愛が待っているのです。神様の祝福が待っているのです。(340P~341P)
○第八篇 信仰生活と修練、第一章 信仰生活とは何か
・実践と信仰について見てみるとき、いつも信じることが先立つのであって、実践が先立つことはできません。堕落した人間においては、信仰が強くなってこそ実践も強くなります。しかし、信じる基準と実践の基準には、いつも差があります。神様は、信仰だけを望むのではありません。より良くなることのできる実践の結果を望んで、信仰を求めるのです。それにもかかわらず、人間は実践をおろそかにして信じることを主としているので、神様が望むことと食い違っています。そのような信仰生活を常にしているのが、私たちの立場なのです。(838P~839P)
◎二世の道、「真の愛の関係」
・神様は宇宙の第一原因であり、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父です。神様は特別なみ旨を成すために万物を創造され、その目的はまさしく愛の具現にあります。神様は真の愛の根源ですが、いくら全能の神様でも、一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願いました。その対象として最高の被造物がまさに人間です。そのような理由で、人間の人生には目的があるのです。人生の目的は成熟して神様と永遠に真の愛の関係を実現することにあります。まさにこれが神様と人間の間に平和を成す根本原理なのです。(70P)
◎新約聖書 ローマ人への手紙 第1章16~17節
・わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
◎新約聖書 コリント人への第1の手紙 第13章1~3節
・たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
◎新約聖書 マタイによる福音書 第22章35~40節
・そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

3月1日『古い私と決別し、新しい私として神出発しよう!』

(天一国三年 天暦1月11日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

基元節2周年を迎えるのを機に、私たちは、神様、真のご父母様と共に新しい出発をしましょう。古い私と決別するのです。

古い私とは、真のご父母様を知る前(み言を聞く前)の、自分勝手に生きていた私です。
罪に縛られ、希望をもてず、不安で、滅びの方向へ向かっていました。
今は、そういう自分ではない、ということを自覚して、基元節を迎えた私たちです。

真のご父母様に出会い、み言を知り、真の愛の原理で生かされいます。
罪人だった私が許されたのです。
古い私と「決別する」と、宣言をしましょう。
未練を持たず、きっぱりと別れるのです。
希望を持って、輝く天一国に向かって進んでいきましょう。

堕落と関係ない立場に立てて下さり、許し愛して下さったお父様に感謝しましょう。
このことをいつも心に持って生活しましょう。
でもそれは、自分だけでは難しいので、朝、訓読、お祈りをして、
心情姿勢をいつも作って、一日を出発するようにしましょう。
自分自身の姿勢をいつも真のご父母様に向けていくのです。
そして、古い私ではない、とはっきり自覚しましょう。

伝統を守りましょう。訓読会(み言)の伝統です。
また、組織の秩序を守りましょう。
いかなる時も真のご父母様中心として、家庭盟誓(の内容)を目指していくのです。
夫婦が一つになり、心に影のない正午定着の生活をしていきましょう。

真のお母様は、第二教主です。
真のご父母様は共に教主なのです。
真のお父様と一つになっておられるお母様です。
私たちは、お母様(中心)と一つになりましょう。
お父様が霊界に逝かれたら、お母様を絶対中心として侍るよう語られていました。
真の父母様をしっかり中心にすれば動揺はありません。

お母様は、「私は大丈夫です。心配せず、真のご父母様に侍り、信じ歩めば問題ない」と語られました。
絶対信仰をもって、真のご父母様と共に堂々と歩んでいきましょう。
絶対従順で、天に恥ずかしくない歩みをしましょう。
真のご父母様を絶対中心として、どんなことがあっても崩さないようにしましょう。

人類の堕落によって、家庭が奪われました。
救いも、家庭の救いが必要です。
その為、結婚が必ず必要なのです。
血統が汚れたので、もう一度、真の愛、神様中心の結婚をする必要があるのです(祝福結婚)。

国のトップや会社の社長などは、天の運勢があるかどうか問われます。
それは、夫婦仲良いかどうかです。一人だと運勢がないのです。
夫婦喧嘩すると、戦争になる、と言われ、夫婦が平和だと、平和になると言われます。
家庭次元の神様の願いがあるのです。

今、家庭が崩れています。
同性婚はありえません。発展がありません。
母国である日本は、世界を教育していく立場です。
きちんと真の家庭を築いていかなければなりません。

旧約時代の信仰姿勢は、
律法主義で、せねばならない、義務感、使命感でした。
命令は絶対で、文句を言えない雰囲気です。
それでは、自分を罪人だと認められなくなってしまいます。
自分自身の存在まで否定するからです。
自分を偽って、偽善者として生きていくしかなく、自分中心になります。

新約(時代・クリスチャン)の信仰は、信じることによって救われる、です。
キリストの十字架、愛によって、自分(の中の罪、サタン)は死んだのです。
イエス様は、私の罪を整理する為、逝かれました。
古い私は死んだのです。
私の中の罪、サタンが死んだ、新しい私なのだ、と考えているのです。
命懸けの愛のイエス様を中心とすることが、神様の懐の中で生きることです。
私の中でイエス様が生きている、と考えます。

イエス様中心の礼拝を捧げ、許し、愛を感じ、その居心地の良さから、さらにキリストを求めていくのです。
信仰姿勢が主体的になっていきます。
自然に教えて(伝えて)いきたい、と思うのです。
キリストの愛、許しを強く実感しているのです。
ただ、救いは個人次元で霊的救いのみでした。

成約の信仰は、真のご父母様を中心とします。
勝ち取られたみ言(真の愛)を中心に愛の実践をし、もっと~してあげたい、と思うのです。
真のご父母様の愛、許しを強く感じ、より主体的に、心から感謝して、
徹底的に真のご父母様に侍って行くのです。

私の為に、イエス様以上の命がけの歩みをされた真のご父母様です。
真のご父母様の為に生きたい私であり、
天一国主人になる私、堕落と関係ない私です。
完全な救いの道を開いてくださった再臨主、真のご父母様に感謝し、
真のご父母様を中心として歩みましょう。
真のご父母様を、全人類に堂々と知らせていきましょう。

真の愛の実践をなし、愛の勝利者となると、
その絶対的な信仰に、相手が吸い寄せられてきます。
わたしたちは、
真のご父母様と共に生きなければ平和に生きられないのです。
サタンの妨害もありますが、負けないようにしましょう。

み言を信じ実践すると、生素として霊人体が吸収し、成長、完成することができます。
また、言葉が人生を創る、と言われます。
最高の言葉が「み言」です。真の愛を含んでいます。
み言(真の愛)によって生まれ、み言(真の愛)で生きて、み言(真の愛)を残していきましょう。

週間目標は、愛の実践です。
純粋な愛の心を持って出来るようにしましょう。
新しく純粋で澄んだ心で信仰生活をしましょう。
夫や家族に対して、そのようにしましょう。
葛藤したり、うまくいかないこともあります。
長い人類歴史に組み込まれたものがあるので時間がかかる場合があります。

でも週間目標は、ご父母様が勝ち取られたみ言、愛により、早く整理されていきます。
チャレンジ精神で前に向かっていきましょう。
さらに強く、いつもご父母様が一緒に居て下さる意識、自覚を持って、生活していきましょう。
そうして、自分を作り変えていきましょう。

【み言訓読】◎天一国経典「天 聖經」 第十二篇 天一国他

◎天一国経典「天 聖經」 第十二篇 天一国
・「基元節」は、天一国を実体的に出発する日です。天地が崩れる日ではありません。全世界の人類を天一国の民にする まで、休んではいけません。今から出発です。植えてもいないのにどうして実を結びますか。植えてこそ、収めることができるのです。そのた めには、皆さんが最大の力を発揮して、「基元節」を天と世の中に現せるよう、今から努力しなければなりません。私たちの環境を大きく広げ ていきましょう。(1374P)
・神人愛一体、この一体はどこで成し遂げられるのでしょうか。神様の愛と人間の愛がどこで合わさるかという論理を、今 まで誰も知りませんでした。これが分からなければ、「父なる神」という言葉は荒唐無稽(こうとうむけい)であり、関係ない言葉です。アダ ムとエバの実体の結婚式が神様の結婚式になるのです。(1327P)
・旧約時代には、神様を「ヤハウェ」と呼びました。新約時代には、「父なる神」と呼びました。「基元節」は、神様の夢 が成し遂げられる日です。それで、今から名称を変えようと思います。祈るときは、「神様」を「天の父母様」に変えなければなりません。英 語で「ヘブンリー・ペアレンツ(Heavenly Parents)」です。英語で言っても聞きやすく、韓国語で言っても意味があります。神様は、天の父母様です。(1374P)
・これから私は、このような歴史的摂理の新しい転換期を迎え、真の お父様の勝利的基盤を相続していきながら、四つのお願いを皆さんにしたいと思います。
第一に、私たちは、真の父母様が立てて下さった伝統を絶対に生命視 しなければならず、子孫万代まで相続、伝承させなければなりません。第二に、天が祝福された祝福家庭の理想を完成しなければなりません。 第三に、皆さんは、氏族的メシヤの祝福を受けたので、この地に天一国が完成するときまで、その使命と責任を果たさなければなりません。第 四に、私たち全員は、真の父母様と真の家庭を中心として、和合と統一の心情文化共同体を築いていかなければならなりません。(1366P~1367P要約)

◎真のお父様のみ言
・今、先生を中心としてお母様を立てました。先生が霊界に行ったなら ば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が立てた御言と説教集を中心として行 かなければならないのです。他の言葉を述べるのを許しません。(1994.12.24)

◎原理講論
・創造原理によれば、神の責任分担として創造された人間は、それ自身 の責任分担として神から与えられたみ言を信じ実践するとき、初めて完成されるように創造されたのである。(216P)

◎新約聖書 ガラテヤ人への手紙 第2章19~20節
・わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きてい るのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional