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説教 2015年4月

説教 2015年4月

4月26日『愛によって 共に生きる!』

(天一国三年 天暦3月6日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長
真のお父様の聖和3周年を控え、今は、時代圏が違います。
そのことを感じる為には、前向きな姿勢で歩むことが大切です。

「あらゆることに精一杯の誠を尽くす」こと、為に生きることを実践されていた森山操先生(4/17聖和)でした。

為に生きること(授受作用)は、原理の重要な内容です。
為に生きる素晴らしさを日々の生活で実感することが大切です。
努力していれば天が与えて下さいます。

私たちの背後には、神様、真のご父母様が居てくださいます。
その方から来たみ言を書き写すだけで、その方の愛が注がれ願いが成就していきます(書写)

人類皆一人一人を幸せにする為に来られたのがメシヤ、真のご父母様です。
どんなに枯れた人生でも花を咲かせて下さいます。

私の幸せを強く願って下さっているのです。

メシヤの偉大さ、権限、
メシヤでしか与えられない愛、権能(祝福)が、どれ程素晴らしいことでしょうか。

週間目標に取組む「姿勢」も大切です。
どんなことがあっても、ひとつになって和合していく、という崩れない決意が自分の中で固まっていれば、上手くいかない時も屈することがありません。

一つになって、共に天国で永生していくには、地上で解かなければなりません。
その為に努力し越えたものは、私の財産、宝物になります。

イエス様は、敵を賛美し、迫害する者の為に祈られました。
サタンに讒訴されない方です。
真の愛を根底に持っているから出来るのです。

最低を通過する愛の道です。
許すことが出来ないのが堕落人間です。堕落性が出てきます。
でも、神様、真のご父母様を思いながらいけば越えていけます。
私よりももっと悲惨だった真のご父母様。その心情を分からせる為、越えるべき内容がある為だ、と分かるようになります。
私の十字架が降ろされ軽くなるのです。
苦しい時、つらい時は、チャンスです。神様、真のご父母様の真の愛に向かっているからです。

困難がずっと続くわけではありません。
越えれば希望に変わっていきます。

神様の真の愛の心を持った姿勢、心情で生活しましょう。

敵対する人、許せない人に親切にしましょう。
悔い改めが出来る(和合出来る)可能性を作ってあげるのです。
愛で包み許していきましょう。
私も主によって許された罪人だからです。
神様がその人を許しているのです。互いに許し合うべきです。

許すことは、負の連鎖(歴史)を止められます。
攻撃をしてくる人に、愛をもって善を行いましょう。
仏教の七施のように、善の実践をしましょう。
人に、笑顔、優しさをもって接しましょう。

天を優先させ、負の連鎖を愛によって断ち切り、温かく、優しく、穏やか、和やかに、思いやり、慈しみをもって歩んでいきましょう。

【み言訓読】御旨と世界・「歴史的父母の日」他

◎御旨と世界・「歴史的父母の日」1977.4.18 
 ○自己中心という病原
・では、この「愛の病気」は、どのようにして始まったのでしょうか。この病気の始まりは、そもそも自己中心の思いによってもたらされました。自己中心こそが堕落の動機となったのであります。自分を中心として考え、自分を中心として愛を求めようとしたことによって、堕落がもたらされたのです。
 自己中心の愛が堕落をもたらしたのですから、復帰するためには、神を中心とした愛、すなわち自己中心でない愛を求めなければなりません。エデンの園においてアダムとエバと天使長が、自己中心ではなく、神を中心として愛し合ったならば、堕落はあり得なかったことでしょう。この地上で自己中心でない愛、神を中心とした愛をもって、互いに愛の関係を築いた人々が最後に行く所が天国です。これが神のみ言たる原理の基本の基本であります。
 あなた方は自分を愛しているでしょうか。愛しているとしたら自分中心にでしょうか、神中心にでしょうか。一日二十四時間、あなた方は、神を中心として自分を愛していると言えるでしょうか。そう言えない者は、天国へは行けないかもしれません。そういう者は自分に対する束縛から自己を解放する必要があるのです。それは、あなた方が毎日行わなければならない熾烈な闘いであり、その闘いに勝利しない限り、天国に行くに値する人間にはなれないのです。
・イエス様は四六時中、神のことを考え、神を中心として生きた方です。だから他人からどのように攻撃されても、サタンに支配された堕落人間がするような仕方で、対応しようとはされなかったのです。イエス様が敵を讃美し、迫害する者のため祈った時、イエス様はサタンのすべての讒訴から解放され、神のみ座と直結することができました。そしてそこから救いのみ業を発揮することができたのです。
○統一の本義
・「統一」という言葉のもとに私たちはすべての宗教を一つにすることを願っています。すべての人々を神のもとに帰するために、私たちはすべてを許し合って一つにならなければなりません。だから統一教会は、メシヤ的な道を歩まなければなりません。それは安易な道ではなく、苦労の道であり、惨めな道です。始めから終わりまで、人類の最も惨めな最低の状態を通過していく道です。言い換えれば、統一教会は真に「世界の宗教」としての責任を負って行かなければならないのです。
・この世は、すべてが自己中心的にできています。だから、私たちがこのサタン世界から自らを解放するためには、この世とは異なった生活様式、すなわち、自己中心的な生活ではなく、神中心の生活をしなければなりません。そうすることによってのみ私たちは、このサタン世界から自らを解放することができるのです。
・だからもし、疲れ果てて、もう駄目だと思ったら、“神様、あなたは私よりも、もっと苦しんでおられます。主は私よりももっと苦しんでおられます。私が今このようにして、いるだけでも感謝であります。命ある限り、体の中の血が最後の一滴になるまで、私はあなたのために行きます”というように考えるのです。あなた方がこのように考えて感謝するならば、背後にいるサタンは、あなた方を捕らえる鉤を見つけることができず、あなた方も、イエス様と同じようにサタン圏を乗り越えて、神と完全に一つになることができるのです。
 これが神の基本的な原理なのです。だから、苦労が多くなればなるほど、困難が多くなればなるほど、私たちがサタン圏から解放されて、神の主管圏に近づきつつあるしるしである、ということをはっきり知らなければなりません。
◎旧約聖書 ○箴言 第25章 21~22節
・もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。こうするのは、火を彼のこうべに積むのである、主はあなたに報いられる。
◎新約聖書 ○コロサイ人への手紙 第3章13節
・互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。
○ローマ人への手紙 第12章21節
・悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

4月19日『第56回真の父母の日ファミリー餅つき記念礼拝』

(天一国三年 天暦3月1日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長

画像の説明

今、私たちが意識すべきことは、信侍生活千日期間である、ということです。
真のご父母様を慕い、侍り、皆が一つとなって歩んでほしい、と願われています。

私たちは、本物になっていきましょう。
すべての運勢は、天の父母様、真のご父母様からしか来ません。
真のご父母様に本当に侍っていきましょう。

もっと、ご父母様を意識した生活をしましょう。
朝起きた時から意識し、共に出発する姿勢を訓読、書写をして作り、出発しましょう。
そして、日中、愛の実践をしましょう。

すべてにおいて、真のご父母様を中心に歩めば、良い方向へ変わっていきます。
そうして、幸せな家庭、神霊と真理、愛にあふれた教会を築いていきましょう。

基本的な信仰生活を守りましょう。
家庭の中でその信仰生活をなしましょう。
それに加えて愛の実践をしましょう。

人類始祖は堕落し偽りの父母となってしまいました。
真の父母が立たないと収拾することが出来ないのです。
真のご父母様は、真の父母の立場に立たれ、聖婚され、八大名節の最初が
今日の「真の父母の日」です。
父母が立たなければ全てが始まらないのです。
真のご父母様を中心に、皆、仲良く、和合し、歩みましょう。

17日に聖和された森山操先生、絶対善霊の方々も今日ここに来られていると思います。
神様の愛、み言を中心として、私たちは、結束を固め、天の運勢を頂き、出発しましょう。
  ※餅つき大会の様子は、活動記録をご覧下さい。

4月12日『天を優先させる歩み』

(天一国三年 天暦2月24日) 礼拝内容 説教 垣内勝男教会長
運勢は、神様、メシヤから来ます。
私たちは、いつも天を優先させる心情で生活しましょう。

聖書にもありますが、人々の生活が豊かにならなかったのは、
神の家の建設を後回しにした為でした。

成したことが、神のみこころに反していたなら、すべての労苦は報われません。
わたしたちは、何を優先すべきでしょうか。

神のみこころを優先するなら、すべてを許し、愛し、共にいて下さいます。
天から来るみ言に従っていくならば、神様はいつも共に居てくださるのです。

神様は、神様のみこころを優先して祝福してあげたい、幸福にしてあげたいのです。
でも、現実には、神様を見失って現実を優先させることが多い私たちです。

行き詰って落ちてしまい、無意識のうちに、神様から受けた愛、感動を忘れ、
神様を見失ってしまいます。
現実に追われ現実を優先していないでしょうか?

もう一度原点にかえって、神を優先するところから、すべて好循環が始まります。
天が味方し、協助して下さいます。
天運・天福を受けることができます。
神殿(礼拝)、神様への従順さが大切です。

自分・現実を優先すると、天が味方(協助)できず、天がとることが出来ません。
やってもやっても報われず、苦労だけが残ります。

わたしたちの家の中心は祭壇ですので、家に祭壇を供えることは大切です。
神様、ご父母様を中心にまわっています。神様が第一です。

天を優先させる最低限の内容は次の4つです。
欠かすことが出来ません。楽しく成すべきです。
1、訓読
2、礼拝
3、十一条
4、愛の実践(週間目標)

天を優先させることを出来ることは嬉しいことです。
毎日の中で感謝できるものがないと、息詰まってしまいます。

神様を知ったものとして、幸せをつかむ為に必要です。
神様が共にある生活をする私たちでなければならないのです。

神様、真のご父母様に侍る生活をしましょう。
どこかへ行くとき、前にお父様、後ろにお母様
左右、上下に必ず天が共にあることを感じなければなりません。
まず意識するところから始めましょう。

訓読するとき、霊界がかかわっています。
先祖も一緒に訓読しているのです。
それほど、み言はとても尊いのです。

お母様は、訓読会の伝統は、天を中心とした集会で、最も中心的内容にするように、と語られました。
お父様も「まず家庭の中で神様を中心にお迎えし、
父母と子女が完全に一つになる訓読教育をしなければなりません」と語られました。

礼拝は、神様のために行くのです。
神様が与えたいものがあるのです。
主体的に参加しましょう。

十分の一を捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として扱われるのようになり、
十分の一献金を捧げながら生活する人は滅びません。
日がたてばたつほど、天の倉庫があふれるようになっています。
天の世界への貯金になるのです。十分の一は公金です。

天を優先させる心で、親孝行をしましょう。
天の伝統を守り、神霊と真理にあふれる健康な教会を作りましょう。
喜んで楽しんで希望を持って信仰生活をしていけるようにしていきましょう。

【み言訓読】◎天一国経典・「天聖経」他

◎天一国経典・「天聖経」 
 ○第八篇 信仰生活と修練
・今までの信仰生活は、「私」一人を取り戻すためのものでした。失ってしまったアダムとエバと同じ立場で、原罪のない本然の個体を取り戻すためのものでした。今、神様が最後に願うこととは何でしょうか。まずは神様の愛を中心として、個体と個体を合わせた一つの家庭を取り戻すことです。さらには、神様が愛するその家庭を中心として、そこから広がる氏族を取り戻し、民族と世界を取り戻そうというのです。これが神様の全体的なみ旨です。(812P)
○第十一篇 礼式と名節
・これから、皆さんは、侍る生活をしなければなりません。本来、人間が堕落しなかったならば、神様に侍る道を行くのです。侍るときは、皆さんの生活と心で侍らなければなりません。皆さんがどこかに行く時、必ず前には真のお父様が、後ろには真のお母様がいることを感じなければならず、左右と上下には必ず天が共にあることを感じなければなりません。・・・先生のみ言をつかんで、歩んでいかなければなりません。そのみ言と霊界と歩調を合わせ、実体的家庭ができていれば、その家庭を中心として、いくらでも拡張できるのです。私たちの家庭から氏族が生じ、私たちの氏族を中心として国が生じ、世界が自動的にできるのです。(「侍る生活」、1165P)
・「私は誰々のために教会に行く」と言ってはいけません。・・・誰のために行くのかといえば、神様のために行くのです。神様を私のものとして所有するために、神様の愛を私の愛として探し出すために、行くのです。・・・・・・神様に侍る場には、「心情の礼服」を来て参席しなければなりません。心から、み言とともに、賛美とともに、感激した心情が流れ出てくるなら、天は皆さんを通して役事されるのです。(「礼拝と祈り」、1182P)
・十分の一献金は、「私」が所有している物の中から十分の一を神様に捧げることにより、全体を捧げるという意味があります。父に全体を捧げるのではなく、その中から精誠を尽くして十分の一を捧げるというのは、そのような意味で価値があるのです。そのように十分の一を捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として取り扱われるようになります。このように十分の一献金を捧げながら暮らす人は、絶対に滅びません。日がたてばたつほど、その人の「天の倉庫」があふれるようになっているのです。(「献金生活」、1193P)
・み言がどれほど貴いかをよく知る人は、先生しかいません。そのみ言を伝えたときは、生死を越えて話をしたことを知らなければなりません。そのみ言には、そのときに深刻だった天の心情圏が埋まっています。そのみ言を読み始めれば、昔、感動を受け、関係を結んだ霊人たちがすべて協助するので、相当な恩恵が宿るのです。もう一度このように目を覚まして読むことにより、昔、天が役事したその役事を今も同じようにするのですが、その背後では霊界の協助によって何十倍、何百倍、強く役事するというのです。(「訓読会の生活」、1195P)
◎旧約聖書 
○ハガイ書 第1章 第3節~13節
・主の言葉はまた預言者ハガイに臨んだ、「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。
万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。
そこで、シャルテルの子ゼルバベルとヨザダクの子、大祭司ヨシュアおよび残りのすべての民は、その神、主の声と、その神、主のつかわされた預言者ハガイの言葉とに聞きしたがい、そして民は、主の前に恐れかしこんだ。時に、主の使者ハガイは主の命令により、民に告げて言った、「わたしはあなたがたと共にいると主は言われる」。

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