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説教 2016年10月

説教 2017年10月

10月29日『所有の決定』

(天一国五年 天暦9月10日) 礼拝説教 車 世鍾教区長

【み言訓読】

人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。
あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。
わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。(マラキ書3/8~10)

イスラエル民族の中で、レビ族が十一条をもらって生活していたのと同じように、これから皆さんも、そのようなことをしなければなりません。統一の食口、侍る者として私たちが行くにあたって、生活の十一条を出すことは、絶対的です。それを自分のものだといって侵犯してはいけないというのです。なぜそうかといえば、九は三×三=九、これをサタンが今まで支配したというのです。
今日、サタンが支配するこの地上において、この九数を天の前に預けて連結させることによって、神様が主管することができるのです。そうして、十数の位置を探しておくことができるので、私が神様を信じて、九数を引っ張って入っていけば、この九数圏内のすべての所有権をサタン世界から分離し、切ることができるのです。それで、十一条という言葉が出てきたのです。何となく出てきたと思うのですか? そうではありません。(一五〇―二九九)

条件物は私の生命の身代わりです。私の代わりに死ぬのです。 
ですから、その条件物とは、完全に一つにならなければならないし、完全に愛さなければなりません。愛の対象として対しながら、それが死を受ける時、共に痛みを感じて、心で泣きながら、祭事をささげなければならないのです。アブラハムが息子を捕まえて祭事をささげたのと同じように、心情的に切ろうとしても切ることのできない因縁をもった立場で、断ち切らなければなりません。このような立場で祭物をささげなければならないのです。ですから自分において、一番貴重なものを祭物としてささげなければならないのです。分かりますか、何のことか。物質をささげるようになる時には、皆さんが使って残ったかすをささげれば罰を受けるのです。そのようなことなら、むしろささげないほうがましなのです。

皆さんが十一条をささげるとき、精誠を込めてしてみなさいというのです。絶対、飢えて死んだりしないというのです。その後孫が、物質に対する窮乏を味わったりしないというのが原則なのです。十一条をささげるためには精誠を込めよ、そのようになっているのです。それが信仰の本質です。適当にやればいいだろう……。それは通じないというのです。
祭物は、私の生命の代わりにささげるものです。ですから、一番貴重なものをささげなければなりません。服をささげるときは、自分に何百種類の服があったとしても、その中で一番貴重なものをささげなければなりません。(六三―三三八)

皆さんが蕩減を受けるには三段階がある。
物質的に苦しいとか、子供が病気をするとか、あるいは自分が病気になるとか、これが蕩減法である。旧約時代は供え物で蕩減をした。新約時代においては子女でもって蕩減した。
息子、娘、子女を通して蕩減したし、成約時代においては父母を通して蕩減した。そのような現象からである。だから皆さんの体を打ったり物質的な苦労を受けたりする。家庭をみ旨に合わさなければならない、そうでなければ、子供たちが蕩減するのである。それでも聞かない時には打ってくる。その時、悔い改めなかったら、打たれるのである。
蘇生、長成、完成級において悔い改めないで打たれたら、それは最後である。蕩減法がこのようになっている。(「み旨と世界」P494~495)

祭物というものは、所有を決定させる条件物だというのです。統一教会の原理は本当に偉大だというのです。
先生が、そのようなことをすべて分かっているので、このような定義を下したのでしょう。所有物決定のための条件物です。善なる所に所有されるのか、悪なる所に所有されるのかという問題は、何を中心としてなされたのでしょうか?サタンと神様が、すべて愛の心情をもって取り引きしているということを、誰も知らなかったのです。愛の道を開発して、愛の道を開拓するみ旨を立てて、愛の人を探し出してくる、このような立場、高い愛の基準を天の前に返す前においては、サタン世界の愛の基準の万物が、天の所有物として登場することはできないのです。
天の所有物として登場せずしては、神様が、人間と共に一つとなった万物を、所有することのできる道がないというのです。ですから、祭物は犠牲となって、人を代わりに所有するのです。(一六六―六九)


10月22日『愛を与える喜び』

(天一国五年 天暦9月3日) 礼拝説教 斉藤 滋伝道部長

【み言訓読】

 聖書
ヨハネによる福音書‬ 15:09-12、15:13

15:09父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
15:11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
15:12わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

原理講論
創造原理 第五節 被造世界の創造過程とその成長期間
(2) 間接主管圏

 人間がそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造されたのは、人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって、神の創造性までも似るようにし、また、神の創造の偉業に加担させることによって、ちょうど創造主である神が人間を主管なさるそのごとくに、人間も創造主の立場で万物を主管することができる主人の権限をもつようにするためであった(創一・28)。

平和神経
メッセージ1「神様の理想家庭と平和理想世界王国Ⅰ」
真の愛の人生とは

真の愛の本体であられる神様に似る最善の道が、真の愛の実践を通して真の愛の人格者になり、真の愛の主人になる道だと言いました。その道こそが、私たちも真の父母になれる道だと言いました。 そうであるならば、真の愛の人生とは、どのような人生でしょうか。真の愛は、公益性をもった無形の秩序や、平和や、幸福の根源です。真の愛の本質は、受けようとする愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子供が親に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的愛です。神様の人間創造がそうであったように、何ら見返りも期待せず、条件も付けずに与える、絶対、唯一、不変、永遠なる愛の創造です。
 真の愛は、宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人を生み出してくれる愛です。真の愛は、神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいても、ただうれしく、宇宙はもちろん、神様まで引っ張れば付いてくる愛です。
堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力が真の愛の価値です 神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践すれば、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権までも享受できるようになるのです。このように、天国に入るのに絶対に必要な条件が、正に「ために生きる人生」すなわち真の愛の人生なのです。

10月15日『還故郷(還故家)』

(天一国五年 天暦8月26日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

聖書
ルカによる福音書‬ ‭9:57-62
57 道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。 
58 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。 
59 またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。 
60 彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。 
61 またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。 
62 イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。 

天聖経
第九編 家庭教会と氏族的メシヤ
第二章 氏族的メシヤ
第四節 還故郷と氏族的メシヤ
6. 今までは、サタンが故郷を占領し、主人の振る舞いをしながら私たちを追い出したのですが、今からは皆さんが故郷に行くので、皆さんがサタンを追い出さ なければなりません。それは自動的です。そのようになれば、善の霊たちが皆さんの故郷に来て守るのです。悪の霊をすべて打ってしまうのです。それが原理観 であり、先生の観です。これは歴史に記録されることです。先生は、世界に還故郷を宣布できるその時を見つめて歩んできました。父母が霊界に逝かれたことを 思えば、言葉を失います。しかし、皆さんの故郷で皆さんの数多くの親戚が、私の母、父、兄弟の代わりに解放されることを思いながら、そのことを忘れて祝福 してあげるのです。

10. イエス様は、「預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである」(ルカ四・二四)と言いました。ところが統一教会の先生は、皆さんに、どこへ行き なさいと言いましたか。故郷に行って先祖になりなさいというのです。そのような歴史はありませんでした。聖書にそのような教えはありません。
 故郷では歓迎されないとあるのに、「今はもう故郷で歓迎を受ける時が来た」と語るのです。それは、先生のみ言であり、間違いなく天の経綸の中で現れるべき 言葉です。ですから、故郷に行きなさいというのです。

23. 還故郷するのに、どこに行くのでしょうか。還故国ではありません。還故郷です。還故家です。自分の本家に帰っていくのです。人類歴史を考えるとき、 還故郷の本家はどこでしょうか。還故郷は、堕落したアダムとエバを基準とするのではありません。私たちのする還故郷は、堕落していない本然的完成アダムと エバの故郷を意味するのです。そこには神様がいらっしゃるのです。


10月8日『終末の時の信仰姿勢』

(天一国五年 天暦8月19日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

聖書
ルカによる福音書 7章 18節から28節
18 ヨハネの弟子たちは、これらのことを全部彼に報告した。するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、 
19 主のもとに送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせた。 
20 そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、「わたしたちはバプテスマのヨハネからの使ですが、『きたるべきかた』はあなたなのですか、それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか、とヨハネが尋ねています」。 
21 そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、 
22 答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 
23 わたしにつまずかない者は、さいわいである」。 
24 ヨハネの使が行ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。 
25 では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら、宮殿にいる。 
26 では、何を見に出てきたのか。預言者か。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。 
27 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、 あなたの前に、道を整えさせるであろう』 と書いてあるのは、この人のことである。 
28 あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。 

原理講論
第三章 人類歴史の終末論
第三節 終末
悪によって始められた人類歴史は、事実上、神の復帰摂理歴史であるがゆえに、サタン主権の罪悪世界はメシヤの降臨を転換点として、神を中心として三大祝福が成就される善主権の世界に変えられるようになるのである。

このように、サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。したがって終末とは、地上地獄が地上天国に変わるときをいうのである。それゆえにこのときは、今までキリスト教信徒たちが信じてきたように、天変地異が起こる恐怖の時代ではなく、創世以後、悠久なる歴史路程を通して、人類が唯一の希望としてこいねがってきた喜びの日が実現されるときなのである。

天聖経
第一編 神様
第四章 解放してさしあげるべき神様 
第一節 神様の恨と復帰摂理
46 数多くの人類を中心として、神様は六千年の間苦 労してこられました。六千年の間苦労してこられましたが、末世のこの時、終わりの日とは、どのような時でしょうか。この世界には本然の僕として生きていく 群れがいて、本然の養子のような群れがいて、本然の子女のような群れがいます。その子女のような群れが生まれた基盤の上に、本然の父母が来るというので す。これが再臨思想です。それでイエス様が「私は花婿であり、あなたがたは花嫁である」という立場で語られたのです。地上に、一人の父と一 人の母が現れなければなりません。小羊の婚宴とは、この地球上に人類が失ってしまった本然の私たちの家を、初めて建設する瞬間です。私たちの家を建設しよ うとすれば、そこには父母がいなければならず、兄弟がいなければなりません。これを基盤として子女が繁殖することによって、本然の氏族が広がり、本然の民 族が広がり、本然の国家が広がり、本然の世界が広がるのです。そのようにして今までの悪の世界を清算し、善の世界に向かって摂理していくのが復帰摂理で す。


10月1日『文鮮明、韓鶴子 真の父母様は永遠、不変である』

(天一国五年 天暦8月12日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

天聖経
第ニ編 真の父母
第一章 真の父母とは
第一節 真の父母とは誰か
25 再臨の目的とは何でしょうか。真の父母です。再臨主は真の父です。メシヤは、真の父を意味します。それは歴史の終着地です。また、孤児のような、国の ない窃復するすべての群れが真の父母のもとに来てこそ、一つの世界になります。一つの家族になることを知らなければなりません。真の父母のいる世界には悪 魔がいません。それが原理観です。真の父母が現れれば、サタンは自然に退くのです。この地上に真の父母が現れて、サタン世界を一掃してしまうことを、神様 は願っていらっしゃいます。神様が、そのような基盤を築こうとされたのです。

26 真の父母が歴史上に出てこなければなりません。そのような歴史的使命を代行する一つの存在が、「救世主」という存在、「メシヤ」という存在です。救う とはどういうことでしょうか。体を救うのではなく、理想的な愛の願いを成就してあげるということです。それを成し遂げようとすれば、メシヤは間違いなく、 真の父母として来なければなりません。
キリスト教では、イエス様を、メシヤ、救世主として信じていますが、真の父母として来るためには、どのようにして来なければならないのでしょうか。まず真 の父に代わり得る、一人の男性が現れなければなりません。それで、神様のみ前に「私はひとり子だ」とイエス様が言われたのです。ひとり子が現れたのです が、ひとり子だけではいけません。ひとり娘がいなければなりません。ひとり娘を探して、神様を中心として、互いに喜ぶ位置で結婚しなければなりません。結 婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜ぶことができる新郎新婦となって、地上で息子、娘を生まなければなりません。
 
第三章 真の父母と重生
第二節 重生と血統転換
21 真の父母は、堕落していないアダムとエバです。神様が一代、真の父母は二代ですが、祝福家庭を三代圏内に接ぎ木してあげたのです。野生のオリーブの木 に真のオリーブの木を接ぎ木したので、真のオリーブの木になるためには、自分が多くの努力をしなければなりません。真の愛と真の生命と真の血統の純潔性 を、自分自体から内的、外的に整備すべき責任が、何よりも急務です。真の父母を、自分の血統的な直系の父母と感じなければなりません。真の父母に孝行し、 国に侍り、天地に侍る孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を尽くせる基準で、完全に一つになっていなければならないのです。

23 皆さんは、腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に、その赤ん坊を愛する立場に立たなければなりません。そして、彼らと一致化す ることによって、双子と同じ班列に同参(一緒に参加すること)したという心情的条件を立て、彼らに侍る立場に立たなければなりません。そうしてこそ、腹中 における二つの種の反発を防ぐことができます。反発した堕落の起源を防ぐことができ、ここで復帰されるのです。神様は皆さんが知らない中で、このような役 事をしてきました。

「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会の講演文」

天地人父母時代宣布

2010 年 天暦5 月8 日 午前2 時20 分と5 月15 日午前3 時25 分、このように両日にかけてアメリカのラスベガスにおいて神様を中心とした天地人真の父母様の特別宣布が行われました。
 ところがここでいう3 時25 分の3 数は初不得三の3 時代を代表するものでもあり、旧約、新約、成約の三時代を象徴する数です。そして25 分の25 数は100 の4 分の1 を象徴します。(★)すでに真の父母様御夫妻は最終一体をなして、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです。


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