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説教 2016年11月

説教 2016年11月

11月27日『異邦人に習慣性を捨てよう』

(天一国四年 天暦10月28日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

み言
聖書
出エジプト記 23/20〜33
20 見よ、わたしは使をあなたの前につかわし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう。
21 あなたはその前に慎み、その言葉に聞き従い、彼にそむいてはならない。わたしの名が彼のうちにあるゆえに、彼はあなたがたのとがをゆるさないであろう。
22 しかし、もしあなたが彼の声によく聞き従い、すべてわたしが語ることを行うならば、わたしはあなたの敵を敵とし、あなたのあだをあだとするであろう。
23 わたしの使はあなたの前に行って、あなたをアモリびと、ヘテびと、ペリジびと、カナンびと、ヒビびと、およびエブスびとの所に導き、わたしは彼らを滅ぼすであろう。
24 あなたは彼らの神々を拝んではならない。これに仕えてはならない。また彼らのおこないにならってはならない。あなたは彼らを全く打ち倒し、その石の柱を打ち砕かなければならない。
25 あなたがたの神、主に仕えなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたのパンと水を祝し、あなたがたのうちから病を除き去るであろう。
26 あなたの国のうちには流産する女もなく、不妊の女もなく、わたしはあなたの日の数を満ち足らせるであろう。
27 わたしはあなたの先に、わたしの恐れをつかわし、あなたが行く所の民を、ことごとく打ち敗り、すべての敵に、その背をあなたの方へ向けさせるであろう。
28 わたしはまた、くまばちをあなたの先につかわすであろう。これはヒビびと、カナンびと、およびヘテびとをあなたの前から追い払うであろう。
29 しかし、わたしは彼らを一年のうちには、あなたの前から追い払わないであろう。土地が荒れすたれ、野の獣が増して、あなたを害することのないためである。
30 わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払うであろう。あなたは、ついにふえひろがって、この地を継ぐようになるであろう。  
31 わたしは紅海からペリシテびとの海に至るまでと、荒野からユフラテ川に至るまでを、あなたの領域とし、この地に住んでいる者をあなたの手にわたすであろう。あなたは彼らをあなたの前から追い払うであろう。
32 あなたは彼ら、および彼らの神々と契約を結んではならない。

33 彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたをいざなって、わたしに対して罪を犯させることのないためである。もし、あなたが彼らの神に仕えるならば、それは必ずあなたのわなとなるであろう」。

天一国天聖経
第8篇 信仰生活と修練
第1章 信仰生活とは何か
第3節 信仰生活の道
19 認識や意識を変えるというのは、恐ろしくて難しいことです。一度誤った習慣を身につけると直すのが困難です。それで「三つ子の魂百まで」という言葉 があるのです。
皆さんが統一教会に入ってきて数十年になっても、社会で生きていた習慣性が根絶されていないというのです。「み旨のために犠牲になりなさい、犠牲になりな さい」という話はしますが、本当に犠牲になったでしょうか。犠牲になる立場と犠牲にならずに行ける立場を選びなさいと言うなら、「犠牲になる立場に行こ う」と、自信をもって言える皆さんになっているかというのです。そうはなっていません。生活する人間の歴史的伝統によって、習慣性がそのようになっている からです。
パウロのような人も、「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ七・二四)と 言いました。それも習慣性のためです。二つの法があり、心は神様の法に従い、体はサタンの法に従う、その中間に自分自身が置かれているので「ああ!」と言 いながら嘆いたというのです。この死の陰から誰が救ってくれるのかという話です。

20 生涯の何年間にわたって身につけられた習慣性をなくすためには、死ぬほど努力しても足りないというのです。言い換えれば、何百万年も続いてきた習慣 性と堕落性を抜き取るというのは、数世紀の人生路程をもってしてもできないというのが理論的です。これは深刻なことです。
皆さんは、堕落性についてただ漠然と話しています。それは、食べることによって身についた習慣ではありません。骨肉を受けて継承し、血統を受けて継承した ものです。そして、血肉を混ぜてできた習慣性です。人の力では抜き取ることのできない根を、そこに下ろしています。世界万民を抱えるかのような、巨大な木 のようになっているのです。

11月20日『家庭教会と家庭祭壇』

(天一国四年 天暦10月21日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

天一国天聖経
第9篇 家庭教会と氏族メシヤ
第1章 家庭教会
第1節 家庭教会の摂理的意義
1 家庭教会とは本来、エデンの園で堕落せず、神様を中心としてアダム家庭が完全に愛し合って一つになったことを意味します。

2 今まで皆さんは、「家庭教会は統一教会の制度だ」と考えていましたが、そうではありません。統一教会の家庭教会は、私の天国です。私の天国であり私の ものです。イエス様がペテロに天国の鍵を授けて、その後どこに行ったかというと、十字架に向かったのです。その天国の鍵が家庭教会運動です。
 
7 父母の代わりに働ける時代に入りました。皆さんが代わりにすべきことは、先生が行った活動を繰り返すことです。しかし、先生が世界的舞台でしたこと を、皆さんが全世界を歩き回りながらすることはできないというのです。ですから、制限された一つの祭壇のような所でしなければなりません。世界を歩き回り ながら連結させたすべてのものを縮小させた一つの祭壇で、人類を代表して世界全体に拡大されたものを縮小させた祭壇で行わなければなりません。皆さんに は、そのように活動した蕩減内容が必要なので、そのためにつくっておいたのが家庭教会です。

第3章 教会長の道
第1節 教会長の使命と責任
3 祭壇を設けるためには、祭司長が責任を果たさなければなりません。祭司長の責任を果たそうとすれば、祭司長がいなければなりません。祭司長がいないのに祭 壇を設けてはならないというのです。
祭司長になろうとすれば、どのようにすべきでしょうか。世の中において、神様が愛する、祝福を受けた一族にならなければなりません。そうでなければならな いのです。それがレビ族です。祭司長は、誰でもなれるのではありません。
レビ族は、自分が所有する取り分がありません。彼らの所有は聖殿しかありません。聖殿の中には祭壇があります。そして、祭壇があると同時に祭壇の上に祭物 があります。祭物を祭事に捧げ、贖罪の恵沢を民に与えたのちに、祭物を自分の取り分として取るしかないというのです。

11月13日『侍る生活(モシムの生活)』

(天一国四年 天暦10月14日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

み言
天一国天聖経
第11篇 礼式と名節
第1章 第1節 侍る生活

1 これから、皆さんは、侍る生活をしなければなりません。今までは信じることによって救いを得る信仰生活をしましたが、これからは侍ることによって救い を得る時代です。本来、人間が堕落しなかったならば、神様に侍る道を行くのです。侍るときは、皆さんの生活と心で侍らなければなりません。皆さんがどこか に行くとき、必ず前には真のお父様が、後ろにはお母様がいることを感じなければならず、左右と上下には必ず天が共にあることを感じなければなりません。
統一教会員たちが何かの公的な責任を負い、任務を遂行するに当たって難関にぶつかり、独りでは解決できない問題があるときは、水を浴びて心身を清め、天の み前に祈りながら問い掛ければ、教えてくれるようになっているのです。皆さんの心情の程度が、天の標準とする基準まで行っていないために教えてくれないの であって、その基準まで行けば教えてくれるようになっているのです。すべてのものを委ね、祈る気持ちをもってそこにぶつかれば、直感を通して自らの行く方 向を提示してくれるようになっています。
 
2 これからは、侍って暮らす侍義時代です。侍ることによって救いを得るのです。今までは蕩減によって救いを受けました。天に侍って暮らせる侍義時代に入 らなければなりません。神の国がなければならないのです。イエス様は、国がなかったために追い出されたのです。皆さんも同じです。先生のみ言をつかんで、 歩んでいかなければなりません。み言を否定するサタンの権勢はありません。神様を中心として、そのみ言と霊界と歩調を合わせ、実体的家庭ができていれば、 その家庭を中心として、いくらでも拡張できるのです。家庭がないのに、国がどのようにしてできますか。私たちの家庭から私たちの氏族が生じ、私たちの氏族 を中心として私たちの国が生じ、世界が自動的にできるのです。その版図が、祝福を受けた家庭を通して形成されるのです。
 

今は神様に侍って生きる時代
3 統一教会では、信仰の天国を語りません。侍義を語ります。侍ることによって救いを受けるというのです。知らずに侍ることができますか。統一教会の教え を理解することは、問題ではありません。教えれば誰でも、すべて分かります。皆さんは、神様がいらっしゃることを一日に何回自覚しますか。二十四時間の中 で、何回神様がいらっしゃることを感じますか。侍ることによって救いを受けようという人々が、二十四時間の中で、一、二時間程度侍ればそれでいいと思いま すか。空気よりも、差し迫って必要なのが神様です。水よりも、差し迫って必要なのが神様です。御飯より、もっと貴いのが神様です。

4 皆さんは、神様の事情を知らなければなりません。その事情を知って、その次には神様の心情を知らなければならず、神様が私の父であると考えなければな りません。私の父、私たちの父だというのです。私たちが学び、聞き、侍る生活をするのは何のためでしょうか。それは、聖書に流れている神様の事情を知り、 神様の心情を知るためです。傷を負い、蹂躙され、排斥され、引き裂かれながらこられたその神様が、私の父であることを知るためなのです。

12 神様が信じ、行い、生活し、侍る環境にいれば、サタンは干渉できません。いつもサタン圏内にいるとしても、そのような環境で神様と共にいられる義な る基準が生じれば、サタンはそこから後退するのです。
そうかと言って、行いの旧約時代が過ぎ去り、信仰の新約時代が過ぎ去り、侍る成約時代だけがあるのではありません。旧約時代の行いも必要であり、新約時代 の信仰も必要であり、成約時代の侍る生活も必要なのです。成約時代にも信仰が必要であり、行いが必要であり、すべて必要です。それは蘇生の上に長成があ り、長成の上に完成があるのと同じように、それは切っても切れないのです。今、特に侍義を語るのは、生活化天国時代だからです。

11月6日『希望と信念』

(天一国四年 天暦10月7日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

◎新約聖書
マタイによる福音書17章14節~20節
 14さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、 15「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。 16それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。 17イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。 18イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。 19それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
20するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。

マルコによる福音書11章22節~24節
 22イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。 23よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
24そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

ヤコブの手紙1章5節~8節
5あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 6ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。 7そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。 8そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。

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