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説教 2018年3月

説教 2018年3月

3月25日『針と糸』

(天一国六年 天暦2月9日) 礼拝説教 柴沼邦彦巡回師

【み言訓読】

御旨と世界
P.108「先生は針、皆さんは糸」
誰がこの国に対する責任を負わなければならないのだろうか。それは統一教会の有志たちがその責任を負わなければならない。我々は今、「破れた国」という着物を縫い繕わなければならない立場であると例えてみよう。すると、この私は針であり、皆様は糸のようなものである。糸は針にくっついていなければ着物を縫うことができない。針だけいくら通っても駄目だ。で、針も重要であるけれども、糸もまた重要であるという事実を皆様は、はっきりと認識していなければならない。皆様と私が一緒になって、針と糸との関係を結び、そして破れているこの国、あるいは世界という「着物」を修繕しなくてはならない。

マルスム選集265-310、1994年11月27日
お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくてもお母様が代わりに出来る特権を許諾したというのです。お父様がいないときは、お母様のことを思わなければなりません。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、祈祷もそのようにするのです。
今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。
これからはお母様の時代に入っていくことを理解して、特に女性たちはそのようにしなければなりません。
ここにおいて、先生が第一教主であれば、お母様は第二教主であると世界的に宣布し、天地に宣布します」

3月18日『真の父母の名によって』

(天一国六年 天暦2月2日) 礼拝説教 金城鋒教会長

【み言訓読】

聖書
使徒行伝‬ ‭3:1-10‬
「さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。 ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。 こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。 民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、 これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。」
‭‭ ‭

天聖経
第2篇 真の父母
第一章 真の父母とは
第二節 真の父母の顕現
33 「真の父母」という名称が出てくることによって、神様の創造理想世界、エデンの園から出発すべきだった永遠の未来の天国が出発するという事実は、歴史 的であり、時代的であり、未来的なことです。ですから、過去、現在、未来の全体の歴史をまとめて見てみるとき、この地上に顕現した真の父母という名称は、 宇宙の中心を決定する中心点です。歴史は、ここから実を結び、ここから収拾され、ここから出発するのです。歴史がここで実を結ぶので、過去がここで復活 し、世界がここで一つ世界に収拾され、一つの世界が起源となって、新しい天国が形成されるのです。ですから、真の父母が現れなければならないのです。

第三章 真の父母と重生
第三節 長子権・父母権・王権復帰

26 神様の創造理想は、真の父母の名で、天国の王国と地上の王国を築くことです。真の父母の名をもたずには、地上天国と天上天国は生まれません。今日、キ リスト教徒たちに、「イエス様は神様の愛する長子であり息子ですが、どうして天国ではなく楽園に行っているのですか」と尋ねてみれば、答えられません。天 上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通してのみ形成されます。霊界に行って王国を統一することが、真の父母の使命であって、他の人の使命では ないのです。イエス様は真の父母になることができなかったので楽園にいるのです。

3月11日『一からの出発』

(天一国六年 天暦1月24日) 礼拝説教 金城鋒教会長

【み言訓読】

原理原本
一から全存在へ
太初は即、神様である。この一が即、太初の根本である。この根本が即、神様である。この神様の存在こそ無限小から無限大の存在の根本である。この一つの根本が全体の根本であり、又全体の中心であり、又全作用の根本であり、外力の全作用に対し平衡の起本特点である。

聖書
創世記‬ ‭1:1-3‬ ‭
「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」

ヨハネによる福音書‬ ‭1:1-3‬ ‭
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」
‭‭
天聖経
第1篇 神様
第一章 神様の存在と属性
第二節 根源であり本体であられる神様

5 人間は第一原因から始まりました。第一原因とは何でしょうか。その名前は何でもよいのです。絶対者なので、そのお方が考える理想は、絶対的理想です。人 間は、あくまでも第一存在ではなく、結果的な第二存在です。「私」にとって第一存在は、父母です。父母の第一存在は、祖父母です。祖父母からさかのぼれ ば、第一存在は、最初の先祖になります。人間の最初の先祖を中心として、神様がいるとすれば、神様にまでさかのぼるのです。

6 神様は、私たちの心の動機になるお方です。人間の第一源泉になるお方です。私たちの理想の起源になるお方です。この起源を除外しては結果が現れません。 ですから、神様を除外しては世の中が成り立ちません。父母を失った孤児のような境遇にあるのが、この地上の人類です。しかし、その孤児の前に、失ってし まった父母を取り戻すようになれば、その歓喜の声がどれほど大きいでしょうか。世の中を征服して億万の大金を手にした名将の勝利も、この喜びとは比較にな らないのです。心が重要です。いくら勝利を称賛できる立場にあるとしても、父母の前に行かなければ真の子女として立つことができません。

3月4日『鉄のつえをもって諸国民治める』

(天一国六年 天暦1月17日) 礼拝説教 金城鋒教会長

【み言訓読】

聖書
詩篇‬ ‭2:7-9‬ ‭
「わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。 わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。 おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。」

マタイによる福音書‬ ‭28:18-20‬ ‭
「イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。」
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ヨハネの黙示録‬ ‭2:26-27
「勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。 彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。」
‭‭‬ ‭
ヨハネの黙示録‬ ‭12:5‬ ‭
「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。」

原理講論
第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理
第一節 サタン屈伏の典型的路程
(二)ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程
⑤ 杖は、不義を打ち、真実なる道へと導き、人の身代わりとして身を支えるものの表示物で、将来来られるメシヤを象徴したのである(本章第二節(二)(2)・)。したがって、ヤコブが、このような意義をもっている杖をついて、ヨルダン河を渡り、カナンの地に入ったということは(創三二・10)、将来、堕落人間が、メシヤを捧持して不義を打ち、彼の導きを受け、彼を頼ることによって、罪悪世界を越え、創造理想世界に入るということを、見せてくださったのである。それゆえに、モーセも杖を手にして、イスラエル民族を導いて、紅海を渡ったのであり(出エ一四・16)、イエスも彼自身を表示する鉄の杖によって、この苦海の世界を渡り、神の創造理想世界へと全人類を導いていかなければならなかったのである(黙二・27、黙一二・5)。

第二節 モーセを中心とする復帰摂理
(2) 第二次民族的カナン復帰路程
② 実 体 基 台
三大奇跡は、復帰摂理路程において、何を予示したのであろうか。第一の奇跡は、神が命令して見せてくださったとおり(出エ四・3~5)、モーセの命令によって、アロンがその手に持っていた杖をパロの前に投げつけたとき、それが蛇となったというものである。これを見たパロは、自分の魔術師を召し寄せてその杖を投げさせたところ、これもまた、蛇となったのである。ところが、アロンの杖の蛇は彼らの杖の蛇をのみ尽くしてしまった(出エ七・10~12)。それでは、この奇跡は、いったい何を予示したのであろうか。これは、とりもなおさず、イエスが救い主として来られ、サタンの世界を滅ぼすということを、象徴的に見せてくださったのである。神の代わりに、神として立てられたモーセ(出エ七・1)の前で、奇跡を起こしたその杖は、将来、神の前でこのような奇跡を起こすであろう、権能的な面から見た、イエスを象徴したのであった。それと同時にまた、杖は身代わりの支え人、身代わりの保護者として、不義を打ち、真実なる道案内人の使命をするものであるがゆえに、これは将来、イエスが全人類の前で、このような使命を担って来られるということを見せてくださったものであり、その使命の面からイエスを象徴したものであったのである。

天聖経
第9篇 家庭教会と氏族的メシヤ
第二章 氏族的メシヤ
第四節 還故郷と氏族的メシヤ
7 祝福家庭は杖と同じです。世界的な死亡の世界を渡っていける橋であり、そのような道に導く杖です。家庭がそうなのです。皆さんが伝道に行くべき所は故 郷です。故郷に帰りなさい、還故郷せよというのです。

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